かつて長時間労働(残業)は美徳だった

当塾では、
中高年サラリーマンに目覚めて頂き
「最大限の自分自身を生きる人」に
近づけるヒント・情報を
それこそ様々な切り口で提供しております。

本日のテーマは「長時間労働」
について私なりに考察します。


【1.かつて残業は美徳だった】

2016年、広告会社最大手の電通が、
その異常残業実態について
政府にたたかれています。

ところが、我々のような
中高年サラリーマンが入社した
1990年代の頃や
さらに遡って80年代、
もっと古い
高度成長期(1960~70年代)の
日本では
「残業は美徳」と されていました。

電通ほどではなくとも、
夜遅くまで仕事をやっている会社は
日本中、山のようにありました。

遅くまで会社に残っていることが
「頑張っている証」と
みなされていた時代が
長く続いたのです。

高度経済成長期には
「モーレツサラリーマン」
という言葉もありました。

その結果、
「男は外で仕事を」
「女は家庭を守れ」などの
最近では「古い」とされる
固定観念・風潮まで
生み出したのです。

それが川柳にあるような
「仕事しろ 残業するな 成果だせ」
という風潮に
いつ変わったのでしょう?

若年サラリーマンの過労死や
過労自殺が非常に多くなったから
政府が規制しようと
したからでしょうか?

厚生労働省が
「残業のしすぎは体に良くない」
と健康キャンペーンを
全国に流したからでしょうか?

いいえ、どれも違います。
かつては、労災がらみの
裁判を遺族側が提起しても
過労死や過労自殺であると
なかなか
認めてもらえませんでした。

風潮が変わった背景・理由は2つ。
1つ目は1991年です。
その年にバブルが崩壊しました。

以降、長く不景気が続き、
企業は賃金をアップすることが
できなくなったためです。
(失われた20年の時代ですね。)

従業員に夜遅くまで
がんばって残業されると
その分、残業手当を
企業は払わねばなりません。

ですが、不景気で収益が
あがっていないにもかかわらず
残業代を払うと
「人件費率が高い」として
株主に経営者はたたかれます。

よって、バブル崩壊以降、
各企業では経営陣の号令のもと
「早帰りデー」
「残業退治」
「業務の効率化」
を急に叫び出したのです。

これが残業を「悪」と
考え出すきっかけでした。

決して従業員の健康や幸せを
心配したからではありません。

残業が美徳とはされなくなった
2つ目の理由は次に述べます。


【2.外圧が残業を悪玉に仕立てた】

長時間労働を改善しようという動きは、
サラリーマンらの健康や幸福を
願って生まれたものではありません。

そのことを特に
中高年サラリーマンの皆さんは
肝に銘じておきましょう。

残業に関する歴史や変遷を
振り返ることで、
中高年サラリーマンは
今後の身の振り方を考える際の
参考になるはずです。

残業を悪者にしたのは、
一つ目は上記で説明した通り、
長引く不景気でした。

二つ目はズバリ、外圧でした。

具体的には1985年の
G7によるプラザ合意の際、
アメリカを始めとする
日本以外の先進6ヶ国から
叩かれたためでした。

どう叩かれたのでしょうか?

簡単にいうと以下の内容です。
「日本は輸出で貿易黒字を
しこたま貯め込んだね。」
「それは単に製品の質が
いいせいだけじゃない。」

「日本の労働者が長時間
働き過ぎているからだ」

「長時間残業した分、手当を
労働者らに払っているのか?
払わずにサービス残業させて
低賃金で働くから、競争力が
あるだけじゃないのか?

「輸出に頼らず内需を拡大せよ。
かつ、 長時間労働を削減しろ。」
というものでした。

そうです。1980年代の日本は
輸出主導型の経済構造でした。
(今の韓国のような感じです。)

円安も手伝って輸出市場は
日本の一人勝ちでした。

日本の貿易黒字は大きく増加、
国内の失業率も先進国では
最低の2%台でした。

一方、
アメリカの対日貿易収支は
完全に赤字でした。

さらに失業率はアメリカで7%台、
イギリスやフランス、イタリアでは
何と10%を超え、
深刻な社会問題になっていたのです。

日本のサラリーマンの働き過ぎが
貿易摩擦と、日本以外の先進国の
失業を産みだしており、迷惑だと
特にアメリカから非難されたことが
残業を悪者に仕立てていきます。

働き過ぎは本当だったのでしょうか?

1985年時点の、製造業労働者の
年間総実労働時間は以下の通りです。
日本は他を圧倒していました。

日本   2168時間
アメリカ 1924時間
イギリス 1952時間
西ドイツ 1659時間
フランス 1643時間

今でこそ、日本も平均で
1800時間を切っていますが
当時は働き過ぎと言われても
仕方ない状態だったのです。

日本政府は、急ぎ
輸出主導型の経済構造を、
内需主導の国際協調型の
経済構造に転換する
必要に迫られました。

その最大の目玉が
労働基準法の改正でした。
週40時間労働を1987年に
国会で成立させました。

これにより、今では浸透した
週休2日制が始まったのです。
(それまでは土曜日も働いていましたし、
公立の学校も、私が学生時代だったころは
土曜は4時間目までありました。)

これが残業削減のスタートでした。
フレックスタイムも導入されました。

また、内需を拡大させ、
同時に労働時間も削減すべく、
祝日を増やしました。
みどりの日や、海の日、山の日も
三連休を増やす
ハッピーマンデー法案などは
その一環です。


【3.年間労働時間が2426時間の時代があった!】   

電通に捜査が入った事件を受け、
残業に関する考え方の
変遷の歴史を振り返りました。

こうした長時間労働につき、
もう少し時代を遡って
考察を行いたいと思います。

実は、電通の勤務実態に
負けるとも劣らないほど
全労働者が長時間働いていた
時代が、日本にはありました。

労働省(現、厚生労働省)の資料
「毎月勤労統計調査」によると、
1960年の日本の
労働者(サラリーマン)の
年間総実労働時間の平均は
何と2426時間でした。

現在より年間約600時間も
長く働いていました。

2426時間がどれくらい凄い
数値なのか、見てみましょう。

現在の労働基準法で
定められている一日あたり
の労働時間である
8時間で割って見ると、
年間303.2日と算出できます。

一年の日曜日の日数が52日。
一方祝日は、現在では年間で15日
なのですが、1960年当時は
年間計9日しかありませんでした。
(元旦、成人の日、春分の日、
天皇誕生日(4/29)、憲法記念日、
子供の日、秋分の日、文化の日、
勤労感謝の日だけ、でした。)

すると休んだ日は
52日+9日=61日となり、
実労働を加算しますと
303.2日+休日61=364.2日
となります。
これでほぼ1年365日ですよね。

つまり、1960年当時は
ほとんどのサラリーマンが
土曜日もフルタイムで働き、
日曜日、祝日は何とか休めても
盆暮れ・正月も関係なく、
有給休暇も取得せずに働いていた
ほど、凄い労働実態だったのか・・・
と単純計算で浮かび上がります。

とはいえ、さすがに
盆暮れ・正月はぐらいは
休んでいたでしょうから、
実態としては、
日曜日や祝日を一部返上して
働いていたか、やはり夜遅く
まで長時間頑張る
サラリーマンが大勢いた
と推測できます。

(平均的な数値がこれですから、
実態として電通社員並の
モーレツ社員が全国に
ゴマンといたのでしょう。)

何故そんな過酷な労働実態
に当時なっていたのでしょうか?

1960年の日本は
第二次大戦の敗戦からまだ15年。

あの戦争で日本国内の
主要な都市や町・施設は
すべてアメリカ軍の
空襲であるいは原爆で
完全に焼かれ、国土は
焼け野原と化しました。

すべてを失った
どん底状態から
再び立ちあがり、
日々生活していくためには
国民全員が一丸となって
必死に働かねばなりませんでした。

(皆さんご存知の、
国民の三大義務の1つが
「勤労の義務」とされた理由は、
実はこのためでした。)

ボロボロだった日本でしたが、
その10年前(1950年)に
勃発した朝鮮戦争での
特需をきっかけとして、
高度経済成長が始まりました。

加えて、1960年と言えば
その4年後(1964年)に
東京オリンピック開催も
決まり、迫っていました。

奇跡の復興(新幹線や
高速道路建設、さらに
東京タワーもこの時期に
一斉に作られます。)と、
アジア初の
オリンピック開催にむけ
国家を挙げて全力で
走っている時代、
それが1960年でした。

(当時の日本国民が
一致団結して復興に燃え、
家族との時間を犠牲にして
勤勉に働いていた熱い姿を、
後にマレーシア首相となる
マハティール氏は1961年に
見て衝撃と感動を覚えます。

この時に受けた感動が
「ルック・イースト」政策という、
日本を手本にして
マレーシアを成長させようとする
新政策を生み出すのです。)

(マハティール首相についても
当塾では記事にし、特集しました。
彼が日本人に対しあてた
熱い応援メッセージをご参照ください。
https://miyanari-jun.jp/2018/06/16/look-east/ ‎)

そのため当時、
大都市部の工場や企業には
仕事がどんどん舞い込みます。
(岩戸景気と呼ばれました。)

これを担う人手が不足して
いたために、残業実態が
極度に悪化したのです。

そのため、2426時間という
とんでもない長時間労働に
なってしまったのです。

ちなみに、
この人手不足を補うために
どう対応したのでしょう?

地方の農村からの「出稼ぎ」や、
「集団就職」が行われるように
なったのです。

都市部の工事や企業が、大量に
新規採用を増やしたからです。

(集団就職のための、地方から
中卒、高卒の若い男女を乗せた
夜行列車が東京や大阪に次々と
やってきました。NHKなどで
その映像を見た方もいるでしょう。)

思いっきり余談ですが、
名曲「ああ上野駅」(1964年)
は集団就職で上京した若い人たちの
心境を綴ったことで
大ヒットしました。

 

【4.異常残業に耐え抜いた真の理由】

労働時間や残業実態が
極度に悪化した1960年。

当時、国土復興に向け
奮闘している雰囲気と、
迫っていた東京オリンピックを
成功させようという掛け声だけで
当時のサラリーマンたちは
あんなに頑張れたのでしょうか?

いいえ。
過酷な労働環境や
残業に耐えられたのは
ズバリ、
夢と希望があったからです。

生活が良くなっている実感、
あるいは、もっとよくなる
という期待があったからです。

1960年、当時の首相池田隼人
国民所得倍増計画を発表します。

これからの10年間で国民の
給料を倍にすると宣言しました。

「10年で倍にするために必要な
成長率は年間いくらか。7.2%だ。」
とTVの会見で答えました。

今のご時世なら
「そんなうまい話、実現不可能だ。」
と、国民は信じませんよね。

しかしながら、当時の日本人は
「できるかもしれない」
「頑張って働くと、いい生活が
できるんだ。」と信じました。

理由は、1960年より少し前の
1954年から1957年にかけて
日本国開闢以来の好景気とされた
「神武景気」を経験したからです。

経済水準は戦前のレベルをクリア。

つまり、生活水準がかなり戻り、
良くなっている実感や予感が
国民にあったからです。

やれそうだな、という
復活の手ごたえを国民
誰もが感じていました。

池田首相の掛け声の下、
いざ蓋をあけると、
政府の予想を超える経済成長率を
日本は成し遂げるのです。
(1973年まで年間平均10.9%)

戦後のベビーブームで
若年労働者がたくさん生まれ
「人口ボーナス」にも
恵まれたことも労働者不足を
自国内ですべてまかなえた
ことも追い風でした。

1960年の日本のGNP(現在のGDP)は
25兆円程度と、現在の20分の1ほどの
規模でしたが、10年後の1970年には
70兆円と約3倍弱にまで成長しました。
(オイルショックがくる1973年まで
経済成長は続きました。)

その経済成長にあわせて
国民の給料は平均して10年で
2倍以上本当にあがったのです。

つまり毎年、給料が上がったのです。
生活水準も一気に上がりました。

それこそが、教科書に書かれている
「高度経験成長」の時代だったのです。
今じゃあ、考えられませんよね。

(あなたの親父さんや、祖父に
この時代のことを聞いて見て下さい。
証言を頂くことが出来るはずです。)

まとめますと、年間2426時間も
サラリーマンが働いた1960年とは

(1)国を挙げて戦後の復興や
東京オリンピックにむけ
邁進していた。

(2)都市部では人不足になる
ぐらい、景気が良かった。
(岩戸景気と呼ばれました。)

(3)長時間労働が当たり前ゆえ
仕事はメチャきついが、
給料が毎年ガンガンあがるので
サラリーマンは夢が持てた。

(豊かになった証として
歴代天皇に伝わる「三種の神器」
になぞらえた生活用消費財を
買うことがブームとなりました。
それらは車(car)、クーラー、
カラーテレビでした。
その英語の頭文字をとって
「3C」とも呼ばれました。)

結果、当時のサラリーマンらは
今とは比べものにならないほど、
熱気と期待に満ちていました。


大都市部の郊外に
ニュータウンやベットタウンが
どんどんできて、サラリーマンが
核家族用の家を持つことが
ステイタスになった時代でもあります。

国民が皆、夢や希望を
持てたからこそ、
異常なまでの長時間労働や
残業にも当時の先輩たちは
耐えることができたと
私は考える次第です。

そんな時代ゆえに、
「モーレツサラリーマン」
という言葉が生まれ、
家庭を顧みず
夜遅くまで
一生懸命働くことが
美徳とされる風潮や
固定観念が醸成されたのです。

第二次大戦後の焼け野原から
立ち上がった先輩方や、
戦後のベビーブームで
生まれて昭和40年代の
岩戸景気などの高度成長期を
支えた方々は、皆さん今
後期高齢者になりました。

この方々に対して払われている
医療費や年金の額が
この層の人口が多いために
日本の財政を圧迫していますが
彼らこそ、上記のような
過酷な労働条件の時期を
耐え忍んでいた人達だった
ということも
忘れないようにしたいものです。

以上です。

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