近(現)代の歴史を振り返る6 GHQが日本国民に植え付けた、先の戦争に対する罪悪感 

中高年サラリーマンのための
松下村塾を主宰する
覚醒ナビゲーター
宮成 純正です。

当塾では
学習項目の大きな柱である
「歴史」について、
特に近代・明治維新や
日露戦争の話を
かつて5回にわたり記事を連載し、
当塾なりの
日本が世界に果たした役目や
歴史観を説明してきました。

ちなみに、以下がそのリンクです。

その1  https://miyanari-jun.jp/2018/01/24/meiji-ishin/ 
(明治維新~日英同盟締結まで)
その2  https://miyanari-jun.jp/2018/02/10/nichiro-war-revew/
(日英同盟~日露戦争開戦前夜まで)
その3  https://miyanari-jun.jp/2018/02/14/battle-of-ryojun/
(日露戦争:旅順要塞攻防戦)
その4     https://miyanari-jun.jp/2018/02/18/hotennihonkaikaisen/
(日露戦争:奉天の会戦と日本海海戦)
その5     https://miyanari-jun.jp/2018/02/18/impact-japan-and-russia-war/
(日露戦争が世界に与えたインパクト、戦争終結)

おかげさまで、
歴史記事の項目は
毎日コンスタントに
レビューを頂いております。

当塾のスタンス・目指す方向を
理解している方々には
そうした記事や歴史解説に
共感頂いているものと信じます。

そこで今回は、
一旦区切りをつけていた
歴史シリーズを復活させ、
前回の続き・第6弾として
第二次世界大戦敗戦後に
歪められてしまった
日本人の歴史観につき
解説しようと思った次第です。

今回の解説で、
我々が敗戦後から今まで
真実を隠され、かつ、

間違った歴史認識を植え付けられた、
ということがわかるでしょう。

その結果、
日本人としての誇りを奪われ、
逆に罪悪感を植え付けられてきたと
気づいて頂けると信じます。

そして、日本人として
本来持つべき歴史の見方を
認識できると思います。

「宮成は歴史の修正主義者か?」
という批判もありましょうが、
冷静に史実を振り返ると
当塾の主張していることが
真実だと理解頂けると
私は思っております。

そのような目覚めこそが、
新しい時代の夜明けに
必要になると思います。

当塾としても、
明治維新から日露戦争までは
ある程度説明できたものの、
それ以降~第二次大戦までは
まだ描いていないなあ、という
物足りなさも感じていましたので
「そろそろ、また書こうかな」とは
思っておりました。


【1.歴史を再掲載する理由】

私が提唱する
「最大限の自分自身を生きる人」
になるには、歴史も含めた
広い視野・世界情勢を見る力が
必要だ、
と過去説明し、
そのための学習の一環として
当塾では「歴史」に相当
力をいれてきました。

ちなみに、
歴史記事や解説を復活するのは
もう一つ理由があります。

それは、
日本人として歴史を俯瞰し、
かつ、敗戦でGHQによって
洗脳された自虐的歴史観、
特に自国に対する
「間違った罪悪感」を払拭し、
「心の中の空白」を
埋めるべきである
という信念があるからです。

これは右か左か?という
思想派閥の小さな枠を超えて
戦後のGHQによって
骨抜きにされた大切なものを
取り戻す作業だと考えます。

言い換えると
「間違った罪悪感」を拭い、
「心の空白」を正しく埋め、
誇りと自信を取り戻してこそ、
内なるエネルギーで満たされ、
当塾が提唱し、目指している
「最大限の自分自身を生きる人」
になる基盤となる、と確信します。

明治以降~第二次大戦まで
素直に歴史を見れば、
「日本はすごいことを
数多く成し遂げてきた
稀有な国である。」
「日本が欧米列強に立ち向かい、
2つの戦争を戦ってくれたおかげで
地上から
植民地が消えていった。」
という真実が日本人には
長く伏せられてきました。

ちなみに、2つの戦争とは
1つが日露戦争です。
もう一つが、大東亜戦争(太平洋戦争)
を指します。

さらに言えば、
「過去の戦争に対する罪悪感や、
日本を悪く見る自虐史観は
GHQ(占領軍の総司令部=
主体はアメリカ進駐軍です)が
巧妙に仕組んだ洗脳だった。」
と気づきべきなのです。

この「罪悪感」には、
「愛国心」という言葉や
「国防」「国の誇り」を使おうとすると
「それは戦前の軍国主義に
つながる悪いことである」
と考えてしまう発想が含まれます。

あるいは、
「愛国心を語る人は右翼で、
思想が偏っている人だ」と
反射的に感じてしまう場合、
この罪悪感か自虐史観に
染まっていると言えるでしょう。

え?と思った方も多いでしょう。

「愛国心なんて考えたこともない。」
「自国のことを誇らしげにしない。」
「国防や軍事に無関心であること。」が
「中道」でハト派、大人の態度だと
考えてきた人も多いと推測します。

ちなみに、以下の質問をされると
あなたはどう感じますか?

「あなたは日本を愛してますか?」
「国防について真剣に考えたことは
ありますか?」
「安全保障は大切だと思いますか?」
「自分の国・日本に誇りを感じますか?」

多くの日本人が
「自国を愛してます」とか
「国防は大切。自衛隊と在日米軍は必要」とか
「日本という国に誇りを感じる」と
はっきりと、自信をもって
言えないのではないでしょうか?

それどころか、そんな明言をする人を
「右翼」「タカ派」だと感じることが
多いのではないでしょうか?

あなたは
「国を愛してます」「国を守ろう」
「自国に誇りを持とう」「安全保障」
と発言をすることに、
罪悪感や抵抗感がありますか?

「愛国」「国防」「安全保障」「誇り」
という言葉にネガティブで
暗いイメージを抱くため、
なるべく避けている人が
多いのでは?と当塾は推測します。


もしそうであれば、

GHQが70年以上も前に
仕組んだ洗脳・罠に、あなたは
いまだに縛られている証拠です。

この呪縛から、我々は急ぎ
解放されねばならないのです。
(今の日本人は、実はGHQがそんな
日本人の思考に関わるところまで
操作を行った・・・ということすら
知らない人が多いのです。
GHQは、日本に対してやった
洗脳政策を巧妙に隠しています。)

今回はGHQが仕組んだ罠について、
重点的に語りたいと思います。


【2.アメリカを心胆寒からしめた日本軍の強さ】

本来の手順としては
前回(5回目が)終了した
日露戦争(終結後)あたりから
話を再開して順次、
時間的経過を追って
歴史を説明すべきと
思っております。

しかしながら、
それでは1回のブログで書くには
あまりに膨大になります。

そこで、ちょっと早送りして
第二次大戦終了直後に話が
飛びますがお許しください。

(後日、また時計の針を
日露戦争の頃に戻し、また
順に歴史を紐解くつもりです。)

GHQが、すなわち
アメリカを中心とした進駐軍が
降伏した日本を占領した際、
なぜ洗脳を日本国民に行い、
罪悪感を植え付けたのでしょうか?


その最大の理由は、

日本が怖かったからです。
先の大戦で
日本軍が
本当に強かったからです。

だからこそ、日本を弱体化し
日本人を骨抜きにしようと
WGIPという
(ウォー・ギルティ・インフォメーション・プログラム)
洗脳政策とプロパガンダを
日本占領中の最重要プロジェクトとして
GHQは実行していくのです。

WGIPの目的は
「二度とアメリカに刃向かえない」
ように、日本を無力化すべく
「精神的去勢」および
「文明基盤の解体」行うことでした。

(語弊覚悟で言わせてもらうと
これはアメリカによる「悪質」な
日本文明および精神の破壊です。
その意味では、アメリカは
誠に罪深いことをやったと
言えましょう。後世の歴史で
そう評価されるでしょう。
ちなみに、私はWGIPの存在を
かつて人気TV番組だった
「世界まるごとHow Much?」
に出演していた弁護士の
ケント・ギルバートさんの
著書で知りました。)

日本軍は実際、どれぐらい強かったか?
いくつか例をあげましょう。

【例・その1】

日本海軍の連合艦隊司令長官・
山本五十六は
開戦直前の1941年9月12日、
当時の首相・近衛文麿と会い、
仮に対米開戦した場合の見込みを聞かれ
こう答えたと伝わっています。

「やれと言われれば半年、一年は暴れてみせる。
だが2年、3年となると自信がない。」と。

アメリカとは国力の差が大きく、
また、日本には資源がないので
長期戦になると日本は負けると
山本五十六にはわかっていました。

実際、対米戦争は
彼が明言した通りの展開となり、
長期戦となった日本は
最終的に敗れます。

しかしながら、
ここで注目して頂きたいのは
開戦後半年目までの
日本軍の快進撃です。

本当に強かったのです。
(特に海軍が強かった。)
下記の地図をご覧ください。

山本五十六の言った通り、
開戦から半年という短期間で
アジアやニューギニアにあった
イギリス・フランス・オランダ、
ポルトガルなどの連合国の植民地を
日本が電撃的に占領したのです。

具体的に見ましょう。

イギリスは
太平洋方面の植民地支配の要だった
東洋艦隊をすべて失います。
さらには、インド洋艦隊では
航空母艦・ハーミスや
重巡洋艦ドーセットなどが沈みますが、
日本側は1隻も沈みませんでした。

オランダも
インドネシア方面の支配に
にらみを利かせていた東洋艦隊を
バダビア沖、スラバヤ沖の両海戦で
日本軍によって葬られます。

イギリスやオランダにとって
制海権獲得に必要不可欠な、
そして
アジア植民地の現地人にとっては
宗主国が行う
恐怖支配のパワーの源であった
これらの艦隊を全滅させられた
衝撃は、実はものすごく
大きなものがありました。

イギリス・オランダが
戦後一気に没落したのは
こうした艦隊を失ったからに
他なりません。

制海権を失った国は
覇権国たりえないのです。
(逆にアメリカは艦隊を失わなかった。
核戦力と併せ持ったから、戦後
超大国になれたのです。)

また、当時フィリピンは
アメリカの植民地でした。
当時ここを守備していた
マッカーサー司令をも
破って米軍を追い出します。

(フィリピンのコレヒドール島の戦いで
負けて撤退・敗走したマッカーサーは、
「Ishall return !」(=必ず戻ってみせる!)
と、リベンジを誓ったことで有名です。)


年表のように記すならば、こんな感じです。

1941年12月開戦。
同年12月 グアム島占領、マレー沖海戦で圧勝。
フィリピンのミンダナオ島ダバオ占領。
ルソン島上陸。香港占領。
翌年1月  フィリピンのマニラ占領。
ニューブリテン島ラバウル占領。
2月  オランダ領アンボン島占領。
イギリス領シンガポール占領。
3月  オランダ領ジャワ占領。
イギリス領ビルマのラングーン占領。
アメリカ軍フィリピン方面
司令官マッカーサー敗走。
4月  アメリカフィリピン軍、日本に降伏。
5月  ソロモン諸島のツラギ占領。

占領した地域にいた白人たちは
ことごとく追い払われました。

何故、日本が
ここまで強かったかというと、
兵士の士気も高く、統率が
とれていただけではありません。

次に述べるような
人類初の戦術を編み出したり、
あるいは
高度の国産軍事技術も
あったからです。

(ちなみに後日、日本が占領した
現地で行った施策にも触れます。
それこそが、後に植民地支配打破に
繋がる貴重な「芽」となるのです。)

【例・その2】

航空機による巨大戦艦の撃沈方法を
初めて編み出し、成功したからです。

敵・イギリスの不沈戦艦と言われた
プリンス・オブ・ウェールズを
マレー沖海戦で日本軍が沈めて
世界を「あっ」と言わせます。

それどころか、この戦いで
イギリスの東洋艦隊を
ほぼ全滅させたのです。

(東京裁判によって
歴史をアメリカがねじ曲げましたが
実はこのマレー沖の海戦こそ、
世界の4分の1を植民地にした
大英帝国に黄色人種が初めて勝った
「歴史的なアジア解放戦」だったのです。
ここから大英帝国の没落が
始まったと言っても過言ではない、
日露戦争の「日本海海戦」に
匹敵する歴史的な勝利でした。)

イギリスの首相・チャーチルは
回顧録の中で日本の海軍の
特に航空兵力に対して
「tremendous(超恐ろしい)」
と表現し、
ドイツ軍と戦っている時には
経験しない恐怖だったと
述べているほどです。

それまでは
大艦巨砲主義と言いい、
列強各国は、破壊力のある戦艦の
建艦競争をしており、一言でいうと
戦艦の保有数・合計トン数が戦いの
勝負を分けると考えられていました。

しかしながら、日本軍の
航空機を使った新たな戦法によって、
大艦巨砲主義時代が終わって、
戦争は航空機が主力になる
時代の幕が開けたのです。

そのために、日本軍が開発した
ゼロ式戦闘機(通称、零戦です)こそ、
開戦当時は世界最高の戦闘機でした。

機体がジュラルミンという
アルミニウム合金で、とても軽く
小回りが利き、スピードも速く、
非常に高い運動性能と
攻撃能力がありました。

(アメリカ軍が後年、零戦を真似し、
改良したグラマン戦闘機が登場する
まで、零戦は空の王者でした。)

【例・その3】

さらには、
上記で述べた航空機を載せた
航空母艦(空母)を中心に
それを護衛する戦艦・駆逐艦を
セットにした艦隊を編成し、
「機動部隊」と名付けます。

「機動部隊」は遠洋航海にて
敵基地・敵艦隊に近づき、
航空機による爆撃と艦砲射撃で
一気に叩く部隊です。

これを考え出したのも
日本が人類史上初でした。
(現代では「機動部隊」と言わずに、
「空母打撃群」ということも多いです。)

真珠湾攻撃で初めて
その戦いぶりが世界に示されました。

洋上7000㌔も離れた大行軍、
敵に見つからずに
航空母艦から発艦して
アメリカ太平洋艦隊の多くの艦船を
短時間で爆撃・破壊したのも
もちろん、日本が初めてでした。

ナチス・ドイツにも
「電撃部隊」と呼ばれる、
急降下爆撃機と戦車を組み合わせた
戦術が既にありましたが、
それはあくまで陸戦での話です。
日本軍による、
海を越えての機動部隊戦術は、
連合国側にとってみると
ナチス・ドイツの電撃部隊の
何十倍も恐ろしい存在だったのです。

こうした
空母の護衛艦隊には駆逐艦の他、
大和や武蔵などの
巨大戦艦も加わりました。

ちなみに、大和や武蔵は
当時の最新鋭の技術が結集され
世界最強の戦艦と言われました。

何が世界最強だったというと
46cm口径の主砲の破壊力もそうですが、
最大の魅力は
その射程距離・命中精度でした。

アメリカ軍の戦艦の主砲の射程は
36キロ程度だったのですが、
大和や武蔵の主砲は、それよりも長い
42キロもあり、敵戦艦の射程外から
長距離艦砲射撃が可能だったからです。

このような
戦艦や駆逐艦と1セットになった
航空母艦を中心とした
機動部隊による遠征攻撃は
開戦当時では画期的な戦術でした。

こうして日本は次々と
連合国の艦隊や基地・港湾を叩き、
あっという間に東アジアと
西太平洋を制圧したのです。


アジア各国を占領した理由は
主に「自衛」のための
資源を獲得するためでした。

でないと、開戦前から
連合国によって経済封鎖まで
日本はかけられており、
資源の乏しい我が国は

滅亡することになるからです。

(GHQのマッカーサー司令は
この点を理解し、日本がやった戦争は
侵略戦争ではなく自衛戦争だったと
1951年に証言してくれます。
これについては詳しく後述します。)

当初は強かった日本軍でしたが、
ミッドウェーの海戦(1942年6月)で
主力の航空母艦を全部(4隻)
沈められてしまってからは
形勢が逆転します。

空母と一緒に
航空機と優秀なパイロットの大半を
ミッドウェーで失ったことで
ほかの戦艦・駆逐艦を
空から護衛できない状態になりました。

そうなるとアメリカの
戦闘機や爆撃機によって
(皮肉にも日本が編み出した戦法で)
戦艦、駆逐艦も次々に沈められます。

結果、それまで抑えていた
アジアや西太平洋で制海権を徐々に
奪い返され、資源が入らなくなります。

こうなると、
船や飛行機、戦車を作るための鉄や、
これらを動かす石油が枯渇していき
日本は敗色が濃厚になっていきます。

【例・その4】

第二次大戦前から日本は
アメリカや連合国から
ABCD包囲網という
経済封鎖をかけられ、
石油や鉄などの資源も
まともに補給できませんでした。

資源をもともと持っていない上に
そんな厳しい状況下に置かれ、
世界最強のアメリカ軍と
なんと4年間も戦ったのです。

アメリカは建国以来、
ベトナム戦争で初敗北するまで
数々の戦争に勝ってきましたが、
強大なアメリカ相手に
4年も戦った国は
世界史上、日本だけです。

【例・その5】

有名な硫黄島の戦いも挙げましょう。

この戦いでは、アメリカ軍は
11万もの大軍で襲い掛かるので
2、3日もあれば島を占領できる
だろうとタカをくくっていました。

なぜなら、迎え撃つ日本軍の
硫黄島守備隊は
栗田中将以下2万2千人しか
いなかったからです。

11万 対 2万2千。
敵は日本側の5倍です。
まず、日本側に勝ち目はなく、
アメリカの短期圧勝で終わる
と誰もが予想しました。

しかしながら、
アメリカ側の読みは
完全にはずれます。

日本軍は硫黄島の地下を掘って
島全体を要塞にして徹底抗戦します。

戦車までも地下に隠した
モグラ戦法を駆使して
神出鬼没でアメリカ軍を
迎え撃ったのです。

アメリカ軍は苦戦します。
結局、硫黄島を占領するまでに
1か月半もかかり、
約7000名もの死者を出すなど
大きな打撃を受けました。

日本軍側は水や食料の補給も
殆どない中で死闘を繰り広げ、
悲しいことですが、
守備隊は全滅するまで戦います。

アメリカ側が
何度降伏を呼びかけても
それに応じることなく、
最後まで戦ったのです。

この徹底抗戦ぶりは
沖縄戦でも発揮され、
勝ったはずの
アメリカ軍兵士が
日本軍は勇敢で恐ろしいと
痛いほど思うようになるのです。

【例・その6】

国を守るため、命を捨ててまで
アメリカ軍にぶつかっていく
究極の闘い方として有名なのが
涙なしには語れない、
「神風特攻隊」や「人間魚雷・回天」でした。

片道分の燃料だけを積んで
二度と戻らぬことを前提に
敵に機体や魚雷ごと
体当たりを敢行する闘い方は、
アメリカ軍にとっては
恐怖だったはずです。

現在、アメリカ軍の空母の
名前になっている
ニミッツ提督や、
アメリカ軍人、ヨーロッパの知識人が
いかに神風特攻隊が
勇敢で、強かったかを
実は称賛しているのです。

その貴重な証言を
涙なしではみれない
動画画像と主に
ご覧いただければ幸いです。

https://www.buzzvideo.com/a/6652471961530139141?c=fb&app_id=1131&gid=6652471961530139141&impr_id=6661041644407638278&language=ja&region=jp&user_id=6451521699606168586&version=8.1.1&share_from=video_list

【3.GHQが仕組んだ巧妙な洗脳:WGIP】

こうした日本軍の
命をも捨てて戦う勇敢さに
アメリカは日本に対して
「強い。この国はやばい。
二度と立ち上がれないように
する必要がある。」
「復讐されると怖い。」と考えます。

日本人の勇敢さや忍耐力は
日本古来の武士道や
滅私奉公の精神に
由来していると
アメリカは見抜きます。

これを骨抜きにするために、
武士道精神や滅私奉公といった
日本古来の美徳をことごとく
「戦前の悪しき文化」と決めつけ、
それを育んできた教育内容を
アメリカは日本占領後に破壊していきます。

「教育勅語」禁止もその一環でした。

ちなみに下記10箇条は
現代にも使える武士道精神の一端です。
(武士道のごく一部を
抜き出したものです。
武士道のすべてではありません。
お間違えのないように。)

その中にある
「死すべき場所では一歩も引かない」
という考えは、
いざとなれば腹を切って
名誉の死を選ぶという姿勢で、
アメリカ軍を苦しめた
徹底抗戦につながる発想です。

(だからこそ、日本軍は
硫黄島のような苦しい状況でも
なかなか降伏せず、「玉砕」を
選ぶことが多かったのです。)

欧米流の「負けそうならさっさと
降伏して、命乞いする」という
発想は、武士道にはありません。

そんな姿勢は武士道では
「卑怯・臆病者」とされました。

この武士道は戦前、
「男子」の目指すべき理想とされ、
「死して名を残す、高潔な生き方」
を理想としていました。

つまり、武士(男子)たるもの
名誉を重んじ、
高潔であらねばならぬと。
そして、いざとなれば
公(国家)のために命を捧げることも
厭わないことが美徳とされました。

こうした考えに基づき、
子弟を教育することは
「軍国主義を生んだ、悪しき文化だ」
として、GHQは教育から排除しました。

武士道や滅私奉公の精神の否定、
「教育勅語」廃止だけに留まりません。

「皇室を敬う心をもつこと」
「愛国心」「国防」「国の誇り」
語ることは
「戦前の軍国主義
の復活につながる
悪いことだ」「そんなことをする
人間は思想的に間違っている。」
と、統制・弾圧します。

これが、先ほど述べた「WGIP」
(ウォー・ギルティ・インフォメーション・プログラム)
の数ある内の1つの政策です。

(写真は東京大手町の第一生命ビルです。
ここにGHQ本部が設置されました。)


WGIPの施策は他にもこんなものがありました。

・アメリカを含めた連合国への批判の禁止、
・GHQへの批判の禁止、
・東京裁判の判決内容への批判の禁止、
・大東亜共栄圏の宣伝の禁止、
・GHQが日本国憲法を起草したことに対する批判の禁止
軍国主義の宣伝の禁止・・・など、

何と30項目以上の
禁止項目を設けて徹底的に
日本の弱体化・解体を進めました。
(このあたりは、後日もう少し深堀して
説明することになると思います。)

そうした禁止事項に
抵触しているかいないかの
「検閲」をGHQが行いました。
当然ながら
「検閲」制度への批判も禁止とされました。

その結果、
「愛国心」「国防」「国の誇り」を
議論することは
「軍国主義の宣伝の禁止」に抵触する
として、
徹底的に取り締まられます。


この政策はアメリカ軍(進駐軍)が
日本占領中の6年間にわたり継続します。


【4.バイデン副大統領(当時)の日本国憲法に関する暴露】

話が少しそれますが、
かつて、オバマ大統領の右腕だった
バイデン副大統領が現職時代、
次期大統領選で奮闘する
ヒラリー候補を応援する際、
ライバルだったトランプ候補を
「彼は安全保障に関し無知だ」と
批判すべく、
以下のような発言をしております。

2016年8月15日のことです。
奇しくも終戦記念日にこんな発言を
するとは、バイデン副大統領(当時)も
すごいことを暴露してくれました。

そうです。現在の日本国憲法は
我々(=GHQ)が起草したと
現職(当時)の
アメリカの副大統領が公言したのです。

バイデン副大統領(当時)の発言に
日本の一部の野党議員が
「それは事実と違う」と抗議しましたが、
その抗議したこと自体、
世界中に恥をさらしたようなものです。

バイデン副大統領(当時)の
発言内容は紛れもない史実です。

仮に、彼の発言すなわち
「別の国の憲法をアメリが書いた」
ということが間違いだったら、
世界で最も影響力のある
超大国の
現職副大統領による「史実誤認」
と非難され、彼は自分の発言の
撤回や修正・謝罪に追い込まれたでしょう。

逆に、初めて暴露した真実だった場合、
「内政干渉」
「他国の憲法操作」
をアメリカはやっていたことになり
世界中の歴史学者やマスコミから
非難や批判が殺到したことでしょう。

しかしながら、
バイデン副大統領(当時)の発言に、
世界中の学者や、マスコミは殆ど
なにも反応しませんでした。

と、いうことは
世界中の学者・政府・マスコミは
この発言が正しく、「史実」だと
知っているからです。

WGIPの例でも挙げましたが
そのことが触れられています。

もう、おわかりでしょう。
日本国憲法9条は、
恒久的な平和と
戦争のない理想な世界を願って
日本人が自発的に考えて
起草し
たものではないのです。

当時のGHQが日本を無力化し、
二度と武力で立ち向かえないよう
日本の手足を縛るために
「悪意」をもって巧妙に
押し付けけてきたものなのです。

そして、進駐軍がいる間は
押し付け憲法を起草されたことを
批判することすら
WGIPにより禁じられました。

(中学生向けの今の
「公民」の資料でようやく
現在の憲法はそうやって
GHQに押しつけられた史実も
掲載するようになりました。)

まとめますと、
日本国民は
「愛国心」「国防」「誇り」を
議論することさえ禁じられ、
それを口にすること自体
「まずい」と思うようになります。

さらには、憲法に「戦争放棄」
を盛り込まされることで
(恒久平和の実現という綺麗な
建前をくっつけて)将来二度と
アメリカに刃向かわせないように
ガチガチに手足を縛られたのです。

その結果、
武士道が示す高潔さは骨抜きにされ、
愛国心や誇り、さらには
国防を語ろうとする気概も
失われていきました。

いや、奪われていきました。

すると、日本人の心の中に
ぽっかりと空白のようなものが
できるようになります。

このようにして、
「愛国心」「国防」「誇り」
を語ろうとすると
「戦前の軍国主義の宣伝や復活に
 繋がるのでやってはいけない。」
という、
罪悪感が自動的に
日本人の心にわき上がるよう、

巧妙に洗脳されていったのです。

【5.今もWGIPは継続されている!】

え?アメリカ軍の占領は
1951年には終わったんでしょ?

そんな洗脳政策が
ずっと日本人に悪影響を及ぼし
続けるというのはおかしい。
効力が21世紀以降も
続いているのはありえない。

そう、感じた方は多いでしょう。

しかしながら、
アメリカ軍の占領終了後も
マスコミが、
さらには教育の現場で
ずっとGHQの洗脳政策を
遵守し続けてきたのです。

例えば、
現代においてもマスコミでは
「大東亜戦争」
「大東亜共栄圏」という
言葉を用いることはタブー、
または放送禁止とされています。
(「プレスコード」がというものが
現在も厳然とマスコミにあります。)

日本側は、第二次世界大戦を
「大東亜戦争」と呼びました。

この言葉には、欧米に侵略された
アジアの植民地から、日本が
「苦しむ同胞を解放する聖戦」
という意味も含まれていました。

そのためGHQは日本占領後、
「大東亜戦争」という言葉を
使用禁止・放送禁止としました。

その代わりに「太平洋戦争」と言う
言葉を使うよう強制したのです。
「太平洋戦争」という言葉には、
アメリカと海で戦った・・・
そんなイメージしか有りません。

GHQはそれを狙ったのです。

アジア侵略の真犯人である
欧米列強に立ち向かい、
国の自衛はもちろんですが、
実はアジア解放の目的まで
含んでいた「大東亜戦争」
という言葉を使われることで、
日本人に
「愛国心」や「あの戦争は
日本の自衛と、アジア解放
のための戦いだったのだ」
という記憶が戻ってくることを

アメリカは恐れたから、
そんなことまで禁止したのです。

それにしても、
日常で使用する言葉まで検閲し、
日本人を骨抜きにしようと
していたとは・・・

GHQの狡猾さには恐れ入ります。

そして、
多くのマスコミは今も
「愛国心」や「国防」「国の誇り」
について肯定的に捉えたり、
または「大切なことだから
前向きに議論しよう」という
姿勢や論調を示すことは
一部のマスコミを除いて
まずありません。

教育の現場でもそうです。
「大東亜戦争」
「大東亜共栄圏」という言葉は
歴史の授業では使いませんよね。

以下のような写真では
「大東亜会議」という言葉があるため
教科書にも載せません。

その理由は
GHQによるWGIP洗脳政策が
(マスコミも多分、無意識に)
受け継がれているからです。

占領軍は確かに去りました。

しかしながら、
目には見えないところで
いまだに我々の周囲では
GHQの日本骨抜き政策が
継続されていることに
気づかねばなりません。

また、
上記で述べた
歴史的真実を知れば、
日本を無力化するという
「悪意」をもって作られた
憲法であるからこそ、
自主制定憲法に変えるべきだ、
という思いが湧いてきても
何ら不思議ではありません。

しかしながら、
憲法9条の改正に関しても、
いまだに「改正反対」が
国民の約半数の状態です。

ということは、まだ国民の
およそ半数がGHQの洗脳から
覚めていないことを意味します。

以下の写真の某新聞社の社説は
「憲法9条を変える必要はない」
「侵略と植民地支配の過去を持つ
日本は、その歴史から逃れられない」
「戦前の歴史への反省」等と主張し、
GHQか、または反日勢力の手先か
と思えるようなひどい内容です。
(2017年5月4日の記事です。)

このように、いまだに
日本が侵略戦争をやった
という前提
に洗脳された
情報・意見がまだまだ根深く残り、
進駐軍が去った後も、今でも
再生産・流布されているのです。

そこで、日本が行った戦争は、

侵略ではなく自衛戦争であった
ことをもう少し後に説明します。


【6.東京裁判は、日本を罪人に仕立てる仕掛け】

日本を弱体化するためのもう一手は
「あの戦争はアメリカは悪くない。」
「日本こそが侵略国家だった。」
「日本は、平和と人道に対する罪がある。」
と、史実を歪曲(または誇張)して
誤った認識をアメリカは植え付けます。

言い換えると、犯人ではないのに
日本を罪人に仕立てあげたのです。

(あの戦争は、日本が
真珠湾攻撃を奇襲で仕掛けたもので、
日本が悪いと我々は
洗脳されていますね。
しかし、真実はそうではなく
アメリカの罠であったことを、
当塾では後ほど説明します。)

これは勝った国が
自軍の正当性を強調するために
負けた国に、勝った国の歴史観を
強制・植え付けるために、歴史上
戦争後に行われた手法のひとつです。

つまり、
「勝った側は、自分に都合の良い歴史を作る」
という世界史の法則の表れです。

そのために用意されたのが
極東軍事裁判(東京裁判)です。

しかも、この裁判は単に
勝者が日本の歴史をねじ曲げ、
勝者の歴史観を
都合良く宣伝するためだけの
ものではありませんでした。

もうあと2つの役割がありました。

1つは、この裁判は勝った国が
負けた国を裁くという
国際法を無視した、
「表面だけ裁判」の体をした
残酷な国家リンチでした。

2つめは、
「日本の首脳陣を有罪にし、死刑にする
ことで戦死した仲間の敵を討つ」という
結論ありきの
「表面だけ裁判」の体をした
アメリカによる国家復讐劇でもありました。

そこで
リンチであることを覆い隠すために、
いや、日本国民の目を欺くために
「日本の軍部が暴走して、日本国民を
 不幸にしたのだ。悪いのは軍部だ。」
「日本国民は、暴走した軍部や
誤った政府首脳陣の被害者だ。」

というプロパガンダを行います。

要するに、アメリカに敵意や矛先を
向けないように、負けた日本の
首脳陣に日本国民の怒りや不満が
向くようにリードしたのです。

(原爆まで落とし、20万人以上の
一般市民を大量虐殺しておきながら、
「日本国民はアメリカの攻撃による
被害者だ」と言わない点が狡猾です。
つまり、主犯格の「すり替え」を
アメリカはやってのけたのです。)

ちなみに、このプロパガンダは、
左翼やリベラル思想と呼ばれる人々に
今も根深く
残っていますね。

このプロパガンダによって
左翼やリベラル派の人がいまだに
「日本政府は過去の戦争を振り返り、
二度と軍国主義に走らないよう
アジア諸国に謝罪を続けるべき。」
とか、
「防衛費を増額すると、かつての
軍部の復活させることなる。」
あるいは
「憲法を改正すると軍国主義の
復活に繋がる。」
と、主張する根拠になっています。

しかし、このプロパガンダの
トリックを見抜けなかった
多くの日本国民は

「そうか、東条英機(当時首相)が悪いんだ。」
「俺たちは、誤った軍部や首脳の被害者か。」
そうだよな。俺たちは悪くない。
 軍部や政治家が悪かったんだ。」
「戦犯と名がついた、ということは
 東条らが国を誤らしめた元凶だ。」

と、まんまと信じ込まされたのです。

この戦争の本当の真犯人は
欧米列強であり、特にアメリカが
主犯格であるにもかかわらず、です。
(欧米列強こそが真犯人であることは
後に説明します。)

そして、GHQは
日本の首脳陣をA級戦犯と決めつけ、
(B級戦犯になった方もおられます。)
次々に処刑していきます。

はっきり言って、この処刑は
関ヶ原の合戦で勝った徳川家康が、
負けた側のリーダー・石田三成を、
京都の三条河原で見せしめのため

「罪人」と決めつけて処刑したのと
本質は全く同じと申していいでしょう。

また、後述しますが、
太平洋戦争(大東亜戦争)は
日本が仕掛けた侵略戦争ではありません。

アメリカのルーズベルト大統領が
日本に戦争を仕掛けるよう
仕向けた巧妙な罠だったのです。

しかしここで、
東京裁判はアメリカによる
「表面だけ裁判」の形態をとった
日本への悪質なリンチだと
見破った、心ある裁判官が
ただ1名存在していました。

(残りの判事はすべて連合国側の
息のかかった判事ばかりでした。)

それがインドのパール判事でした。

彼の主張は

(1)アジア侵略の真犯人は
日本ではなく欧米列強である。
日本は自衛のために、
アジアの植民地や市場を求めて
海外に打って出て、結果的に
戦争をやらざるを得なかったこと。

(2)勝った国が負けた国を裁くこと自体、
正しい裁判ではなく、国際法的には
そもそもこの裁判自体が無効。

(3)「平和と人道に対する罪」という
それまでの国際法にはない概念や
罪を、急に持ち出して
負けた国を裁くこと自体も
無効である。

という主張を行います。

全くその通りで、正しいことを
彼は主張してくれたのです。

しかしながら、その他の判事らは
全員、連合国の息がかかっていたため
多数決で「日本は有罪」とされたのです。

GHQは、判決確定後、
全世界にそれを大々的に宣伝します。

アメリカが正しく、
日本が悪かったのだ・・・と。

それが、日本国民にも徹底的に
教育されていくのです。
勝者側の論理・歪んだ歴史観を
押しつけられてしまったのです。

パール判事は裁判の最後にも
以下のような意見書を出しています。
現代の歴史の教科書には、
決して紹介されないものです。

まず、東京裁判は法的に成立しない。
 また、日本が行った戦争は自衛戦争である。
 原子爆弾による非戦闘員(一般庶民のことです)
 の虐殺は国際法に反した行為である。
 検察側の描いた日本の侵略戦争の歩みは
 歴史の偽造である。よって被告ら(日本の
 軍部の首脳陣たち)は全員無罪である。」

と、簡潔かつ明快に、
東京裁判は無効であり、
日本は無罪であると
勇気をもって主張してくれたのです。

さらに、彼はこう述べております。
「不正なる東京裁判の害悪は、
原子爆弾の被害よりもはなはだしい。」

パール判事こそ、
連合国の圧力に屈せず、
真実の正しい判断を
後世に残してくれた
日本にとっての、いや
世界の恩人と言えましょう。

このブログを読んでいる
あなたに申し上げます。
日本に対して、自国に
罪悪感を感じる必要はありません。

日本は先の大戦では「無罪」です。

朝鮮半島や中国、さらには
イギリスやアメリカ、フランスが
支配していたアジアの植民地に
日本軍が兵を送って
占領したのは確かです。

占領された現地の人たちから
見れば日本から侵略されたと
感じたことも
あったでしょう。

(けれども、実際には
「白人支配から解放してくれた。」
と喜んだ国や旧ビルマに近い
インド北部地域も多く
厳然とした史実として
そうした証拠もありますし、
https://twitter.com/katsuyatakasu/status/1106697533256929280?s=12&fbclid=IwAR0durCN6CV2nc57XVXkVJausaF0NT7ZhuL5ZhK86kN5iIxbZBnu56MmF3A

さらに言えば1911年の日韓併合は
実は朝鮮半島の人々から
ロシアを怖れて
日本に併合してもらいたいと
実は願い出た事実があります。
https://ameblo.jp/bogih/entry-12440618888.html?fbclid=IwAR0yIlZKFFDqX8g8MVGZtkN-FGMFcpeG8AWRwvtgDAlY8zyrhk52WenJFq8

しかしながら、
東京裁判では
そうした美談は
すべて闇に葬られました。)

しかしながら、
それは、当時連合国側に
資源輸入を全面ストップされたため
資源を獲得し、とりに行かねば
日本は滅亡、国民は餓死するので、
やむなく国家生き残りのために
打ってでた自衛戦争なのです。

純粋に、
隣国への領土侵略や
様々な財産の強奪を狙って
意図した出兵ではないのです。

一方のアメリカはどうでしょう?

西部開拓時代にインディアンを殺し、
1893年にはハワイ王国を滅ぼし、
1899年にはフィリピンを
スペインから米西戦争で奪い
自国の利益・領土拡大を求めて
植民地を次々に拡げ、
西へ西へと侵略してきたのです。

自国の利益を求めて
収奪を繰り返し、領土を拡げ
手を血に染めて侵略してきた国に、
日本だけを一方的に
「侵略国家だ」と断罪する
資格はないと思います。

それどころか、アメリカは
国際法に違反する
一般市民への大虐殺を
広島・長崎で原爆を使って
行いましたが、
それを正当化するために
実際にはなかった
日本軍の「南京大虐殺」を
チャイナとともに「あった」と
追認までしているのです。

ちなみに南京大虐殺が
なかったことは、今や
反日スタンスで有名な
あの朝日新聞が
当時報道しているのです。
https://www.facebook.com/photo.php?fbid=310539016273721&set=a.164714514189506&type=3&theater

【7.マッカーサーも認めた、日本の戦争は「自衛戦争」】

それでも
「日本は韓国や満州・中国、
アジアに兵を出し、占領して
現地の人を苦しめたじゃないか。
侵略だ。言い逃れすべきでない。」
と、どうしても
自国に対する罪悪感や
自虐史観が拭えない
あなたに朗報を用意しました。

驚くべきことに
勝った側のGHQの最高司令官で、
(フィリピンで大敗したことで
日本が憎くて仕方がなかった)
あのマッカーサー司令ですら、
日本の戦争は
侵略戦争ではなく
自衛戦争だったことを
1951年には
公式に認めているのです。

あの戦争が自衛戦争となれば、
国際法上も認められている
国家としての正当防衛の範囲であり、
パール判事の言う通り、
日本は戦犯国ではなく「無罪」
いうことになります。

1951年のアメリカ上院の
外交軍事合同委員会で彼は
以下の証言をしているのです。

「日本人は、工場を建設し、多くの
優秀な労働力を抱えてきたが、
原料を産出することができません。
日本には、蚕(かいこ)を除いては
国産の資源はほとんど何もありません。
彼らには綿がなく、羊毛もなく、
石油の産出もなく、スズがなく、
ゴムがなく、その他にも多くの資源が
欠乏しています。
それらのすべてのものは、アジア海域に
存在していたのです。
これらの供給が断たれた場合には、
実際に開戦前からABCD包囲網や
制裁で資源調達が断たれました。)
日本では1000万人から1200万人の
失業者が生まれるであろうという
恐怖感がありました。
従って、彼らが戦争を始めた目的は
主として安全保障上の必要に迫られて
ことだったのです。

つまり、自衛戦争だったと証言したのです。

マッカーサーが
日本の戦争が侵略戦争ではなく、
安全保障上の
自衛戦争だったと気づいたのは、
1950年に朝鮮戦争が
始まったからでした。

マッカーサーは朝鮮に行って
ソ連や中国軍と実際に戦って
日本がなぜ朝鮮半島を
「防波堤」として支配し、
ここに出兵していたのか、
ようやくその意図を理解します。

つまり、地政学的に朝鮮半島が
日本の最後の防衛線なのです。

朝鮮半島を取られたら、次は
日本で敵国と
本土決戦せねばならず
それではあまりに自国の被害も
大きくなってしまいます。

本土決戦で負ければ滅亡です。
是が非でも避けねばなりません。

(繰り返しで恐縮ですが、
朝鮮半島へ自衛のためとはいえ、
日本側が兵を送ったことで
朝鮮半島の人々にとっては
「侵略された」と映るのは確かです。
その観点からは「日本は侵略国だ!」
となりましょう。

しかし、歴史や国際情勢を見る時、
最初から領土拡大を企図し、
朝鮮半島に住む人々から
資産や資源を収奪するために
「侵略目的で」兵を送り込むことと、
他国からの侵略を防ぐ「自衛」のため、
「防波堤」を築くために隣国に
兵を送り込むこととは中身が違います。)

本土決戦をさせないために、
「自衛」のために朝鮮半島に
兵を出して占領し、そこを
「防波堤」にすることで
ロシア(当時はソ連)からの侵略に
日本は対抗せざるを得なかったことに
マッカーサーはようやく気づいた、
と言われています。

勝った側の、日本を弱体化する
洗脳工作まで行った最高責任者が
日本は侵略戦争をやったのではなく、
自衛戦争だった、と証言している
事実は是非知っておいてください。


【8.証言:ルーズベルト大統領が日本に戦争を仕向けた!】

それだけではありません。

近年、アメリカの元大統領
フーヴァー大統領によって、
隠された歴史真実を暴露した
すごい書籍が出されています。

タイトルは「Freedom Betrayed」、
邦訳すると「裏切られた自由」
という書籍です。

2011年になって出版されました。

彼は、第31代目のアメリカ大統領でした。
(任期は1929年~1933年)

彼の次の
フランクリン・ルーズベルト大統領
の時代(任期1933年~1945年4月)
に、日米は戦争に突入するのですが、
フーヴァーは、
後任のルーズベルト大統領こそ、
日米が戦争になった元凶であり、
ルーズベルトが日本を
戦争するように追い込んだと
その書籍の中で「断罪」しているのです。

内容があまりに衝撃的・・いえ
アメリカにとって不利なので、
フーヴァーの死後、
遺族が出版を躊躇していました。

しかしながら、時を経て
遂に真実が世に出てきたのです。

(ちなみに、
A級戦犯として死刑に処せられる
ことになった東条英機首相は、
刑が執行される前、
「開戦の真実は100年後の子孫が
 必ず解明してくれるはず」と
 予言しました。
それゆえ家族には「一切語るなかれ」
と、弁解を禁じる遺言を残しました。

彼が処刑されてから66年目の
2011年にこの書物が出て、
その内容を今シェアしていることで
東条英機の予言が徐々に現実に
なろうとしていると感じます。)

終戦して間もない頃、
元・大統領のフーヴァーと
GHQのマッカーサー司令は
1946年5月4日から3日間にわたり
二人で以下のような対話をした、と
その書籍に記載されています。

しかも、驚くべきことに
フーヴァーはルーズベルトのことを
「戦争をやりたくてしょうがない、狂人
(マッド・マン)」だと記載し、
ものすごく批判しています。

ここで、当塾からアメリカの
当時の状況について解説を加えます。

当時のアメリカの最終目的は
列強各国も狙ったのと同様、
植民地としての中国市場獲得でした。

中国には当時、
満州や中国の主要部へ
日本が兵を出して抑えていました。
日本が中国で得ている利権は大きく
魅力的にアメリカには見えました。

アメリカの狙いは、
日本を完全に中国から追い出し、
アメリカの権益として強奪し、
大きく儲けたいというものでした。
(日清戦争後に三国干渉をしてきた
ロシア帝国の心境と酷似してます。)

そのため、
日本を仮想敵国とした
「オレンジ計画」という
国家戦略まで
実際に戦争になる前から、
実をいうと日露戦争で
日本が大国ロシアを破ってから
すぐに策定していたことが
判明しています。

第1次大戦で戦場となり
疲弊・荒廃したヨーロッパと違い、
アメリカは戦場にならなかった分、
生産力・経済力・技術力・資源・
さらには人口・資金ともにあり、
日本と戦争を行っても勝てるだけの
兵員と国力がありました。

(写真は1941年開戦当時のニューヨークの写真)

一方で、
1929年に起きた世界大恐慌により、
全世界が不景気になりました。
ルーズベルトが大統領に就任した
1933年時点では
アメリカは生産過剰になっており、
国内景気はまだ回復していませんでした。

だぶついた設備をフル稼働させて、
余っている商品在庫を一掃し、
国内景気をよくするためにも
戦争が一番手っ取り早い
景気回復策だったと考えた・・・
と推測します。

恐慌はデフレ(不景気)を招きますが、
自国が戦場にさえならなければ
戦争はインフレ(好景気)を招くことは
経済法則としてよく知られていますので、
ルーズベルトはそれを狙ったのでしょう。

つまり、
巨大な中国市場&植民地獲得と、
アメリカ国内の景気回復という
2つのメリットをもたらす
一粒でダブル効果がある「劇薬」こそ、
日本との戦争・・・だったのです。

さらに言えば、
彼が就任する前の1924年には
アメリカで排日移民法も成立し、
日系人や日本人に対する
アメリカ人の感情も
悪化していたこともあり、
日本と戦争がやりたくて
ルーズベルトはうずうずしていました。

フーヴァー元大統領はこう記しております。

「私(フーヴァー)は、
ダグラス・マッカーサー大将と
1946年5月4日の夕方に3時間、
5日の夕方に1時間、
そして6日の朝に1時間、
二人だけで話をした。
(中略)
私が、日本との戦争のすべてが
【戦争を開始したいという狂人】
(=フランクリン・ルーズベルトを指す)
の欲望であったと述べたところ、
マッカーサー大将も同意した。
また、私は続けて次のように言った。
『(開戦前の)1941年7月の日本に対する
制裁(これもルーズベルトの時代に発動)
は挑発的であったばかりでなく、
その制裁が解除されなければ、
自殺行為となると
わかっていても
日本が戦争を
せざるを得ない
状況に
追い込んだのだ。

制裁は殺戮と破壊以外のすべての
戦争行為を実現するものであり、
いかなる国といえども、
品格を重んじる国であれば
我慢できることではなかった』と述べた。
私(フーヴァー)がそう(制裁のことを)
言うと、この私の発言にも
マッカーサーは同意した。」

この制裁は、1941年7月末に
日本軍が南部仏印(フランス領のベトナム)
に軍をすすめ、サイゴンに
入城したことへの報復として、
米国にある日本の金融資産凍結と
対日石油全面輸出禁止の制裁を
行ったことを指しています。

石油の輸入をアメリカに頼っていた
日本は、これで一気に苦しくなります。

(この金融制裁と石油輸出禁止は
アメリカのみならず、イギリスと
オランダも同調します。
結果、米英蘭の3国とは事実上
貿易できない状況になり、
資源のない貿易立国日本は
滅亡の危機に追い込まれるのです。)

ご存じの通り、
石油は国家の「血液」であり、
これがないと軍艦も飛行機も
動かなくなるのです。
電力も工場もそうなります。

石油が底をつくと国家は死を迎えます。
そう、滅亡です。

こんな仕打ちをされたら、
まともな国なら我慢することは不可能、
日本は死を覚悟で、滅亡する前に
命を賭けて立ち上がるだろう、と

フーヴァーは情勢を見て
冷静に分析しているんですね。

そういう意味でも
日本がアメリカに仕掛けた戦争は
「滅亡覚悟の止むに止まれず」の
自衛戦争だった・・といえます。
最初から領土的野心や、
植民地化することを主目的とした
侵略戦争ではないのです。

これは日露戦争と同じですね。
日露戦争も開戦したのは日本から
ですが、これも待っていては
ロシアに滅ぼされるので
「滅亡覚悟の止むに止まれず」の
自衛戦争でした。

さらにフーヴァーはこう述べています。

「ルーズベルトが犯した巨大な誤りは、
1941年7月、つまりスターリンと
隠然たる同盟関係になった

その1か月後に日本に対して
全面的な経済制裁を行ったことである。
その経済制裁は、
弾こそ撃っていなかったが
本質的には戦争であった。
ルーズベルトは、
自分の腹心の部下からも、再三にわたり
そんな挑発をすれば、遅かれ早かれ、
日本が報復のための戦争を引き起こす
ことになると、警告を受けていた。」

この制裁で
追い込まれた日本ですが、
この制裁が発動される前から
具体的には1941年の春頃から
外交上の譲歩をしてでも、
日本はアメリカとの戦争だけは
何とか回避したいと、
和平の道を必死に探って、
交渉を繰り返していました。

(決して日本が好戦的というのでも
ありません。好んでアメリカに
戦争をしかけたのではないのです。)

しかし、日本と戦争をしたくて
仕方がないルーズベルト大統領は、
日本の平身低頭の譲歩案を
すべて拒否していきます。

戦争ありき、だったのです。

1941年9月、近衛文麿首相は
駐日アメリカ大使と会談します。

そして、
自ら渡米して日米首脳会談をし、
ルーズベルト大統領と直接会って
戦争回避の道を話し合いたいと
願い出ます。

しかしながら、ルーズベルト大統領は
妥協ではなく力によって日本を
封じ込めるべきだとして
日米首脳会談を事実上、拒否します。

この時の近衛文麿が用意していた
和平提案は、アメリカの要望を
殆ど鵜呑みにする内容でした。

当時、満州は日本にとって
最後の生命線(自国の商品を
買ってくれ、資源を得られる
地域という点で)でしたが、
その満州についても
アメリカの権益につき便宜を
図ってもよいという打診まで
盛り込んでいたからです。

フーヴァーはこう書籍に記しています。

「1941年9月の
近衛首相の和平提案は、
東京にいる駐日アメリカ大使も、
駐日イギリス大使も、
祈るような気持ちで
その実現を期待していた。」

「近衛首相が提案した条件は、
満州返還を除く、すべて
アメリカの目的を達するものであった。
しかも、満州返還ですら、
交渉して議論する余地を残していた。
皮肉なものの見方をする人ならば、
ルーズベルトは満州という
この重要でない問題を契機に
もっと大きな戦争を引き起こしたいと
思い、しかも満州を共産ロシアに
与えようとしたのでは、と考えるだろう。」

日本にしてみれば
「最後の生命線の植民地(満州)にも
 アメリカの権益を(相互互恵に繋がる施策)
認めることも
考えるから、
 何とか戦争だけは勘弁してください。」
と、平身低頭・ほぼ全面降伏の如く
戦争回避をお願いしているのですが、
ルーズベルト大統領は
戦争をやりたくて仕方がないので
全部拒否しました。

それでも日本は、諦めずに
和平のチャンスを探ります。
それは昭和天皇のアイデアでした。

このまま行き詰まって
日米が戦争になるより、
両国で少し冷却期間を置くという
最後の提案をします。

この狙いは
冷却期間中にひょっとしたら
国際情勢が変わるかもしれない。

そうなると、両国にとっての
和平の糸口も見つかるかも
しれない、というものでした。

この提案がされたのは開戦直前の
1941年11月でした。

フーヴァーの書籍には
次のような記載があります。
「日本の天皇陛下は、
1941年11月に
駐日アメリカ大使を通じて、
行き詰まった日米交渉において
3ヶ月間の冷却期間をおいてはどうか
という提案をされた。しかしながら、
ルーズベルトはこの提案も拒否した。」

日本の、戦争回避への思い・誠意は
悲しいことに完全に無視されました。


しかし、それだけではありませんでした。

【9.ハル・ノートが日本に開戦を決意させた!】

アメリカは昭和天皇の、
何とか戦争回避したい思いを
完全に無視するどころか、
日本に対して「導火線に
火を付ける最後通達」を
無慈悲に突きつけます。

それが「ハル・ノート」でした。
(当時の国務長官、コーデル・ハルが
日本側に示した覚え書き(通牒)です。)

昭和天皇からの提案を蹴った直後、
1941年11月26日に届いた
「ハル・ノート」には以下のような
対日要求内容が書かれてありました。

(1)1940年に日独伊で結んだ
三国同盟を破棄せよ。
(2)中国・満州・仏印(ベトナム、
ラオス、カンボジア)から
すべての日本軍を引き上げよ。
(3)中国では、蒋介石政権以外の
政府を認めるな。

どういうことか、解説します。

(1)を認めると、既に連合国側と
対立関係にあった日本は
国際社会で丸裸になります。
同盟国がいなくなり孤立無援、
助けてくれる国が無い状態に
なるのです。

つまり、
「裸になって、一人になれ!」
「列強のどこかの国がいつでも
日本をなぶり殺しできるように
。」
   と、アメリカから
命令されているのと同じでした。

(2)イギリス・アメリカ、フランスは
広大な植民地を持ち、
1929年に発生した
世界恐慌以降の不景気を乗り切るべく
当時はブロック経済圏を形成し、
自国の商品を
植民地に売りつけていました。

しかしながら、
非常に高い関税障壁を設けて
日本などのブロック外の
他国からの商品を
保護主義的に排除していました。

(現代であれば、不景気時に
保護貿易を強化すると
貿易量が激減し、却って
景気が悪化することが
経験上わかっていますが、
当時の列強各国の経済知識や能力は、
まだそのレベルに到達していません。
結果、近視眼的な保護主義政策を
ハンドリングをしていたのです。)

つまり、
「日本からの商品は買わない」
としていました。

それだけのみならず、
連合国側はABCD包囲網を形成して
「日本には石油や鉄を売らない」
という経済封鎖をしました。

日本の商品を買わない、
   日本には資源を売らない、となると
   生き延びるための自衛措置として
   日本は商品を買ってくれる市場と
   資源を手に入れる土地や国を
   実力で奪いに行く必要に迫られます。
   そのままでは自国民が
飢えて死んでしまうからです。

よって、やむを得ず出兵を行ったのです。
侵略を目的としているのでは無く
生き延びるため、自衛のためです。

そのために、占領した地域が
中国・満州・仏印(ベトナム、ラオス、
カンボジア)でした。

しかし、そこから
すべて軍を引き上げよ、ということは
日本の生存に必要な市場と
資源獲得の場をすべて「手放せ」と
命令されていることと同じです。

「資源のない日本はさっさと飢えて死ね!」と
アメリカから命令
されているのと同じです。  

(3)蒋介石以外認めるな、というのは
どういうことか?というと
中国に進出した日本は、
親日的な汪兆銘を応援していたのです。
彼を南京に据えて傀儡政権を
日本は創っていたのですが、
「汪兆銘を応援するな。認めるな。」
と、アメリカは命令しているのです。

これは
「中国の一切の権益から日本は手を引け!」

   と言われているのと同じでした。

この「ハル・ノート」に関して、
インドのパール判事は
「アメリカ政府が、日本政府に送ったものと
同じ通牒を受け取った場合、モナコ公国、
ルクセンブルク大公国(のような小国)
でさえも、アメリカに対して
武器をとって立ち上がったであろう」と
評価しています。

また、
アメリカのハミルトン・フィッシュという
下院議員も誰がどうみてもハル・ノートは
宣戦布告そのもの。これを突きつけられたら
どこの国でも開戦せざるを得ない。
ルーズベルトは国民を欺いた!」と激怒しました。
(ちなみに、彼がハル・ノートの存在とその内容を
知るのは開戦後しばらくたってからです。)

事態はここに至り、万事休すとなります。

平身低頭だった日本側も
さすがに堪忍袋の緒が切れます。
そして
「これはアメリカからの最後通牒だな」
と、受け止めます。

そして、日本は
資源を求めてさらに市場と土地を
獲得しないことには滅亡するため、
「武力行使をしてでも、
資源のある国や地域をを取りに行こう」
「そうなれば、アメリカは黙っていないだろう。」
「アメリカとの開戦やむなし!」
「開戦となれば、まずは先制攻撃で
アメリカ軍の主力・太平洋艦隊の
基地を叩かねば。ハワイの真珠湾を。」
「先手必勝!」と、決断するのです。

それが、1941年12月8日の
真珠湾攻撃となるのです。
(ハル・ノートが届いたのは11月26日。
その約2週間後に開戦したんですね。)

ルーズベルトはこれだけ日本を
追い込み、たきつけておきながら
「最後通牒など出していない。
まだ外交上の調整・交渉中だった。」と
アメリカ国民に対し、日本と交戦状態に
入る際に、このような虚偽の説明まで
やってます。(彼は「ハル・ノート」を
日本に突きつけたことを、
開戦当時、
アメリカ議会には内緒にしていたのです。)

加えて、
「リメンバー・パールハーバー」
(「真珠湾(
の犠牲)を忘れるな」)
という、あの有名なフレーズで
プロパガンダを行うのです。

「先に手を出したのは日本だ!」
「戦争を仕掛けられた!」
「憎い日本を倒すのだ!」と
自国民を騙して、
戦闘意欲をかきたてたのです。

本当にルーズベルトは
腹黒く、狡猾な人物だなあ、と
私は思いますね。

いかがですか?

ここまで追い込まれ、いざ立ち上がると
悪者に仕立てられたのは我々だった・・・
というのが分かりましたか?
これが長年隠されてきた真実です。

ちなみに東京裁判では、
真珠湾攻撃を日本は宣戦布告前に
行った「だまし討ち」だとして
アメリカは日本を非難し、
戦後も「日本はだまし討ちをした
悪い国だ」という宣伝がされました。

しかしながら、
戦争は宣戦布告後にしかけるべき
という考え方は、日本を罰するために
初めて東京裁判で導入された基準でした。
それまでは、欧米のどの国も
いえ、世界中の国々は
戦争を開始してから宣戦布告を
行っていたので、だまし討ちを
したのは日本だけではありません。

アメリカは、それまでの戦争は
米西戦争など含めてすべて
事後での宣戦布告だったのです。

そうした自国の罪は棚上げにして
日本だけを悪く非難したことを
知っておいてください。

事態が開戦に至ったことにつき、
フーヴァーは、はっきりと
・日本は戦争を避けたかった、
・戦争を始めたのは日本ではない。
・ルーズベルトが常軌を逸している、
と述べ、かつ、
痛烈に
ルーズベルト批判を展開しているのです。

以上は、アメリカのトップだった
元・大統領からの告白・回顧録です。
しかも、客観的な歴史分析もできる
高い知性のある人物が書いています。

2011年に明らかになった
こうした歴史的真実は
非常に大きく、貴重ですね。

繰り返しますが、
日本は侵略戦争をしたくて
アメリカに真珠湾攻撃を
したのではないのです。
「窮鼠、猫をかむ」の状態に
日本を追い込んだのは
アメリカだったのです。

この真実を知って、あなたは
どう思いましたでしょうか?

これでもなお、あなたは
日本が侵略国家だと思いますか?
太平洋戦争(大東亜戦争)は、
まだ日本が悪かったと思いますか?

進駐軍GHQの最高司令官、
マッカーサー元帥から出た言葉と、
アメリカ大統領・第31代
フーヴァーが告白した真実から、
我々に植え付けられてきた
悪しき自虐史観・罪悪感が
かなり薄らいできたのでは
ないでしょうか?

と、ここまでが
第2次大戦直後にあった、
日本人に行われた
悪しき洗脳の実態の話でした。

その洗脳から早く覚めた人こそ
次の時代を、力強くかつ、
明るい未来観・ビジョンをもって
生きていくことができるはずです。

【9.罪悪感の払拭後は「自国の誇り」を取り戻そう】

さて、話を戻しましょう。

ここまで読んで、
隠されていた真実を知って
目から鱗が落ちた感覚でしょうか?
「今まで騙され続けてきたんだ」
「知らなかった・・・」という
ショックを受けているかもしれません。

そのショックで
我が国に対する罪悪感が薄まり、
心の中の空白が埋まって
きたでしょうか?
是非、そうであってほしいのです。

なぜ、
罪悪感を払拭すべきかと言えば、
罪悪感が心の根底にあると
自分の国に誇りが持てません。

その結果、
心の一部に空白ができてしまい

真の幸福感を味わったり、
生き甲斐や使命というものを
見いだせなくなるからです。

言い換えると、
個人レベルでワクワクを追求し
幸福や生き甲斐を
実現する過程において、

自国のアイデンティティに誇りと、
国民に
愛情が持てなければ
生き甲斐・情熱が半減し、
本当の幸福を感じられないのです。

誇りなくば
自分の内側から
運命を切り開く
エネルギーも
沸いてこないのです。

ここまで読んでいただいた
あなたはきっと
日本の過去への罪悪感や、
自虐史観がかなり薄れたと思います。
心の中の穴も少しは埋まったでしょう。

そこで、ここからは
冒頭で述べたように
「我が国は過去にすごいことを
やってきた稀有な国だな」と
誇りを持てる、
そうした史実を、
引き続き述べていきます。

あなたの罪悪感が
かなり薄れたであろう
このタイミングで次は
「日本人としての誇り」を注入し、
心にエネルギーを取り戻そう
という試みでもあります。

長くなってしまい恐縮ですが、
あなたの内なる精神を
満たしていくためにも
今しばらくお付き合いください。

【10.幕末・明治以降~日露戦争までの総復習】

過去の5回の歴史シリーズでは
明治維新以降~日露戦争までの歴史を
解説してきました。

そこで、今回6回目の後半では
過去5回分をざっと、
世界地図を活用して復習しましょう。

そうすることで、繰り返し述べてきた
「アジア侵略の真犯人は
 日本ではなく、実は欧米列強である」
という真実が理解できるはずです。

70年以上前にパール判事も
指摘していることです。
その真実を一緒に学びましょう。

時は、幕末または明治初期に遡ります。

迫りくる欧米列強の
帝国主義支配の脅威に対して

日本は紆余曲折を経て
開国・近代化・中央集権化を
必死に進めました。

その目的は
欧米列強に侵略されず、
奴隷にならないための
富国強兵化した
近代国家になるためでした。

明治維新後の日本は、
隣の朝鮮半島が
もしも列強(特にロシア)や
中国の清にとられ、
植民地化されてしまい、
列強の軍隊に駐留されたなら

いよいよ次は
自国が滅ぼされる番になると
熟知していました。

【11.地図を見れば、列強の帝国主義の酷さがわかる】

ここからの解説は
高校の世界史レベルか、
防衛大学等で講義している
地政学的になります。

どうか、地図を時々見ながら
読んで頂けると幸いです。

19世紀後半の
アジアやオセアニアの侵略を行った
真犯人は日本ではなく、
実は欧米列強であったというのは
東アジア・オセアニア・ミクロネシアの
当時の地図が動かぬ証拠であります。

なぜなら、
幕末~維新の頃の19世紀後半は
日本と李氏朝鮮、
さらにはタイ王国を除けば
周囲の国・地域はすべて
欧米列強によって
植民地になった、もしくは
なりつつあったからです。

(後に朝鮮は日本の支配下に
入るため、独立した国は日本と
タイだけになってしまいます。)

例えば、
インド、ビルマ(現在のミャンマー)、
マレーシア、シンガポールで
なぜ今も英語が通じるか、といえば
イギリスの植民地だったからです。

また、
ベトナムやカンボジア、ラオスで
なぜ今もフランス語が通じるのか?
その理由は、ここがかつて
フランスの植民地だったからです。

さらには、
インドネシアはオランダが植民地化し、
プランテーション農業を強制しました。
「強制栽培」とも言われました。
農場で酷使され、
従来の生活・文化を壊された
現地人が大勢亡くなっています。

中央アジアの各国や、
モンゴルでは
ロシア語が現在も公用語です。

なぜなら、後にソ連がここを制圧し、
ロシア語を強制して
現地人(中央アジアはトルコ系民族が多い)
古来の言語や、モンゴル語を
使用すること禁じるという
過酷な植民地化政策を行ったからです。

マカオに至っては、
1999年までポルトガルの植民地でした。

このように、日本周辺のアジアは
欧州列強によって植民地化・略奪が
どんどん進んでいた状況にあり、
彼らこそ「アジア侵略の真犯人だ」
という証拠なのです。

ご理解頂けましたか?

そうした状況の中でも
特に、我が国にとって衝撃、
かつ、危機感を与えたのが
以下の3つの事件でした。

1つは、大国だった中国の清が
アヘン戦争(1840年~42年)
でイギリスに敗れて以降、
じわじわと欧米列強による
植民地化が進んでいたことでした。

清がアヘンに浸食されて、
多くの中国人が
廃人になっている情報が
日本にも入ったことで、

幕末の勤皇の志士たちが
危機感をもって
最初は「攘夷」として
やがては「倒幕」に動き出す
最初の契機になったことは、
過去5回のうちの
最初の記事で
おつたえしましたね。

もう一つは、ご存じ
ペリー来航(1853年)による
黒船ショックでした。
これで200年以上続いた
日本の鎖国が終わります。

これによって、日本は
アメリカのみならず
欧米列強各国に開国を迫られ
不平等条約を結ばされます。
(1858年)

3つ目はロシアです。
シベリア方面から
どんどん東に侵略をしてきて
1858年のアイグン条約と
1860年の北京条約で遂に
清から沿海州を奪い取ります。

そして、念願の不凍港
ウラジオストックまで
手に入れたことでした。

ロシアがここまで南下して
清の領土を侵してきたのなら、
この次に危ないのは、隣接する
朝鮮半島であることは明白でした。

朝鮮半島が列強にとられたら、
もう日本は裸の状態となります。
次は日本が
狙われるのは当然のことでした。

このことは幕末の江戸幕府も、
その次の明治維新政府も
十分、危険を察知していました。

そこで、朝鮮半島が
欧米列強の魔の手に落ちる前に
「自国を守る」「滅亡しないために」
日本の防波堤にすることを
明治政府は悩んだ末に決断します。
(征韓論と内治派がぶつかって
一旦は内治派が勝ちますが、
後に朝鮮半島を手に入れようと
結局出兵することになります。)

決して、日本は
根っから侵略をしたくて
出兵をしたのではないのです。

その結果、
朝鮮半島の支配覇権を巡って
中国の清と激突します。

(清は自国が列強に侵食されつつ
あったのに、古来から朝鮮半島は
我がものであり、日本ごときに
渡したくないという大国意識が
ありました。だから、朝鮮半島を
とられないよう干渉してきました。)

これが日清戦争でした。
(1894年~95年)

日本は近代化を始めて
まだ20年ちょっとゆえ(維新が1868年)
世界各国は「日本と清なら
まだ清が大国ゆえ清が勝つ」
と思われていました。

しかしながら、日本が圧勝しました。
日本が勝利した結果、
「清は小国・日本にも負けるような国だ。
大国だと思っていたが実は弱い!」と
世界中にバレてしまいます。


【12.ロシアの泥棒行為と侵略準備】

日本は賠償金以外にも
この戦争の戦利品として
遼東半島を獲得します。

遼東半島は地政学上、
非常に重要な場所です。

地図で見るとわかりますが、
中国の首都・北京や、
その入り口にあたる
重要な港湾都市・天津の
すぐ目と鼻の先の位置にあります。

ここに
自国の軍隊を駐留させれば
両都市を抑えるのみならず、
黄海一帯の制海権もとれます。
つまり、中国を占領しようと
思えばいつでもできるわけです。

そう、遼東半島占領は
中国の心臓部の目の前に
ナイフを突き立てるような
意味を持ち、中国市場を
我が物にするには
最高の場所なのです。

また、
ロシアや中国から朝鮮半島を
防衛するにも都合の良い、
戦略上の要衝の地でありました。

しかし、このことがロシアを刺激します。

彼らは中国市場を欲しており、
そこを植民地化することを
狙っていたからです。

「日本が中国の中枢・北京や
天津のすぐそばの半島をとった。
このままでは日本に中国市場を
根こそぎ奪われる!阻止せねば!」
と恐れ、ドイツ・フランスを
誘って「三国干渉」を実施します。

日本が日清戦争に勝って
わずか6日後に、です。

そうです。
ロシアにとって
日本が遼東半島を手にすることは
自らのアジア支配野望の
妨げになるからです。

強大な3国連合による
圧力をかけられ日本は泣く泣く
清に遼東半島を返しますが、
ロシアがこれを不当に奪います。

完全な国際法違反、
いや、泥棒行為でした。

しかし、ロシアは強大で
「それは国際法違反だから返せ!」
と叫んでも無視されます。

ロシアの本音は
「悔しかったら実力で取ってみろ。
黄色人種で文明が遅れた小国に
そんな実力はないだろうがね~。
刃向かえば逆に潰してやろう。
はははは・・・」です。

(現代でも、国際司法裁判所が
「南沙諸島の埋め立ては違法」
と判決まで出ているのに、
全く無視して島の軍事施設化を
継続している某国と同じです。)

それだけはありません。
ロシアはシベリア鉄道を
フランスからの資金と技術援助で
どんどん東に伸ばし
ヨーロッパから
2万キロ近く離れた
遼東半島の旅順までを
鉄道で結ぼうと工事を始めます。

これもまた、
地図を見るとわかりますが
シベリア鉄道が完成すると、
首都(サンクト)ペテルブルクから
100万を超える兵員が
極東まで短時間で
輸送できるようになります。

当時ロシア帝国は
世界最大の陸軍を有し、兵員は
200万とも300万人とも
言われ、日本軍を圧倒していました。

しかし、
その主力はヨーロッパ側の
サンクトペテルブルク近辺や
ヨーロッパとの国境や
中央アジア方面に
駐留させていました。

サンクトペテルブルクから
チェリャビンスクまでは
既に開通していましたが、
当時の皇帝
アレクサンドル3世の号令で
1891年から本格的に、
チェリャビンスク~
ウラジオストック間の
シベリア全土を貫通する鉄道を
敷設する工事を始めました。

そんな大軍の主力が
鉄道に運ばれて
アジアに流入すれば、
いや、中国の中枢部に近い
遼東半島に流れ込んできたら
もはやアウトです。

どの国も対抗できず、
中国はロシアに完全に奪われます。

のみならず、
次に朝鮮が占領され、
それが終れば
いよいよ日本が狙われると、
容易に予想できました。

シベリア鉄道完成までに
何としてもロシアの拡大を
止めなくてはならない・・・
ということが
日本にとって存亡をかけた
至上命題であったことが
理解できるでしょう。


【13.大国・清が分割・植民地化されていく・・・】

事態はそれだけで
留まりませんでした。

日清戦争で清が弱いと
バレてしまったことで、
欧米列強による中国分割と
半植民地化が一気に進みます。
(1898年~99年ごろ)

清は実質的に
中原の地域一帯のみを
支配するだけの地方政権
にまで弱体化します。

それ以外の地域は
欧米列強と日本が
租借地という名で、
実質的に植民地とします。

例えば
満州やモンゴル、東北地方はロシアに
長江流域以南は英仏に、
山東半島はドイツに、
広州湾はフランスに、
福建省と台湾は日本に
植民地化されてしまいました。
(下記の地図をご参照ください。)

同時期の1898年には
遂にアメリカ合衆国も
アジア(特に中国)に食い込もうと
フィリピンを(米西戦争に勝って)
スペインから奪って
植民地化していたのです。

三国干渉・中国の分割、清の弱体化・・・

遼東半島のみならず
モンゴル・満州や沿海州が
つまり、中国北部が事実上
ロシアの勢力圏になりました。

彼らは獲得した勢力圏に
シベリア鉄道を通すための
延伸工事を急ぐようになります。

首都サンクトペテルブルクから
1日でも早く大軍を
東アジアに送り込むためです。

この結果、ロシア帝国が
日本の最大の脅威となりました。

【14.大英帝国も日本の脅威?】

あれ?イギリスも脅威では?
という質問が聞こえてきそうです。

インドやマレー半島を植民地化し
インド洋・太平洋を経由して
アヘン戦争以来、着々と
中国やアジアに
その魔の手を伸ばしてきたのが
イギリスだからです。

(「大英帝国」と言われ、
地球の領土の4分の1も
支配していた超大国です。)

ですが、歴史的にみると
日本にラッキーだったのは
中国分割が済み、
日露戦争が始まる直前、
イギリスは
アジアを侵略できない
状態に実はありました。

だから、幸い
この時期のイギリスは
日本の脅威には
なりませんでした。

理由は
1899年~1902年にかけて、
イギリスは国家の総力を挙げて
ブール戦争(またはボーア戦争)
を戦っていたからです。

この少し前に、南アフリカには
ダイヤモンドや金が発見されます。

オランダ系白人が作っていた
オレンジ自由国と、
トランスヴァール共和国から
発掘されるのですが、
イギリスはダイヤ・金に目がくらみ
この国を奪いにかかります。

イギリスは両国を滅ぼすため、
この戦いにイギリス軍は
本国とケープ植民地から
25万人以上の兵を投入します。

中国での利権を後回しにしてでも
ダイヤが喉から手が出るほど
欲しかったんですね。

しかしながら、
敵のゲリラ戦法に苦しみ
大きな被害を出します。

最終的な勝利はつかみますが
イギリスは疲弊し、とても
アジア方面に大軍を割く
余裕は当時なかったからです。

この情勢が、
後の日英同盟締結(1902年)
に大きな追い風となるのです。

【15.ロシア東進と侵略の魔の手】

ここで話を戻して
ロシアの侵略の歴史について
簡単に触れます。

ロシア帝国は17世紀ごろから
アジアに侵略の魔の手を
着々と伸ばしていました。

不凍港を手に入れるための
南下政策であり、
中央アジアからシベリアに向け
東へ東へと領土を奪い
侵略を行ってきたのです。

(写真は、侵略戦争を好んだ
女帝・エカチェリーナ2世)

ヨーロッパやバルカン半島でも
南下政策を実現するため
ロシアは数多く戦争を
仕掛けますが、欧州各国に
阻まれて南下できませんでした。

しかし、
中央アジアやシベリアには
強敵がいないため着々と
東に侵攻してきたのです。

そして、遂に中国の清と
東北地方の黒竜江付近で
ぶつかるようになります。

そこで、1689年には
ネルチンスク条約で
清との国境線を定めます。

ですが、それだけで
諦めるはずがないのが
ロシア帝国です。

清の弱体化を何と100年以上、
虎視眈々と狙っていたのです。

清が弱いと見るや難癖をつけ
満州北部、黒竜江、沿海州方面を
次々に奪いにかかります。

日本が幕末で揺れている
1860年には北京条約を
結んで遂に念願の不凍港、
ウラジオストックを手にします。

19世紀後半に
鉄道という大量・高速の
輸送手段が発明されると、
ロシアは首都から極東まで
開通させ大軍を送り込むことを
思いつき、建設を始めます。
(これは先ほど説明しましたね。)

そう、ロシアは
中国や朝鮮、日本をいずれ
侵略する気でいたのです。

なぜなら、
ヨーロッパやバルカン半島で
とれなかった不凍港を
極東アジアで獲得し、
かつ、中国すべてを手中にし
植民地化することで
世界最強の列強にのし上がる
野望があったからです。

その証拠に先ほど述べた
極東の軍港・ウラジオストックは
ロシア語で「東方を征服せよ」
という意味だそうです。

そればかりでなく、ロシアは
黄色人種を人間としてではなく
サル扱いしていることを、
ブラゴヴェシチェンスク虐殺事件(1900年)
で世界中に示し、
罪のない中国市民が多数殺されました。

ロシアの残虐で
悪魔のような所業を見て、
「座して傍観していれば
やがてロシアに滅ぼされ、
奴隷にされるか、
黄色人種は皆殺しにされる」
「立ち上がらねば、殺される」
と、日本人は悟ったのです。

そこで日本は
圧倒的に不利とわかっていても
ロシアに自衛戦争をしかける
ことを決意をします。

(あくまで自衛のためです。
自国の生き残りをかけての
悲壮な覚悟での戦争です。

ロシアのような野望を持った
侵略戦争とは根本的に
違うことを知ってください。)

ちなみに、
開戦のタイミングは
先ほど述べた
シベリア鉄道が全線開通する
直前でした。
(開戦は1904年の2月。
全線開通は同年9月でした。)

全線開通されると大軍が
ヨーロッパから運ばれてくるので
その前にロシアを
叩く必要があったからです。

これが日露戦争でした。(1904年~05年)

しかしながら、
国家予算規模では
ロシアの8分の1以下という
貧しく非力な状況だったため、
ドイツ陸軍の参謀本部を除き、
世界中の国や軍部は
日本は負けて滅ぶだろうと
予想していました。

【16.日英同盟と大英帝国の狡猾さ】

日本は
自国の生きる道を切り開くため
ロシアとの開戦の2年前に、
日本はイギリスと日英同盟という
軍事同盟を結びます。(1902年)

この日英同盟は
先ほど述べたように、
イギリスがブール戦争で
(1899年~1902年)
動けなくなっていたことが
幸いし、締結できました。

もしも、当時のイギリスが
ブール戦争がなく、
余裕をもって大軍を擁して
アジア侵略ができる状態で
あったとしたら、
イギリスは「名誉ある孤立」
を重んじる大国でしたし、
日本と手を結ばなかった
可能性もあります。

イギリスにしてみると
当時は南アフリカに
国家総力をつぎ込んで疲弊した分、
東アジアに兵を派遣できません。

一方で、
ロシアを放置すると
中国市場をすべて抑えられ、
自国の中国利権も奪われる
危険もあると恐れていました。

(日英同盟より前の1900年に
起きた義和団事変でも、
ロシアの横暴により、イギリスは
自分たちの権益が脅かされること
を恐れて、日本に中国へ大軍を
出すよう要請したほどです。)

ロシアの拡大を抑えるため、
日本と手を組みその力を借りて
ロシアを牽制する戦略を
イギリスは選んだのです。

イギリスは狡猾です。

直接、自分たちは
ロシアと戦わずとも
日本には最新鋭の戦艦と
武器も売って戦わせます。

こうすることで
ロシアを牽制しつつ、自国の
軍需産業も儲けることもできます。

だから、イギリスにとっては
日英同盟は一石二鳥の戦略でした。
さすが、大英帝国ですね。

日本からすると、
生き残りの手段としての
必死の知恵で結んだ
日英同盟でしたが、
イギリスからすると、
自国の代理人として
ロシアと戦ってくれる
パートナー・日本を
獲得したというのが
本音だったでしょう。

日露戦争が始まると
イギリスからは
日本に直接の援軍は
なかったものの、
(兵を出せない状況だったので)
最新の戦艦・三笠を売ったり
その修理を金で請け負ったりしました。

さらには、
ロシアのバルチック艦隊を
スエズ運河を通さず、
アフリカ側を遠回りさせて
疲弊させるなど、
影で日本を援護しました。

一方、日本は必死にロシアと戦い、
連戦連勝の奇跡を起こします。

機関銃とコンクリートで防御を固めた
当時、最新・最強の旅順要塞を
多大な犠牲を払って落としました。

詳細はリンク先をご参照ください。
https://miyanari-jun.jp/2018/02/14/battle-of-ryojun/
(日露戦争:旅順要塞攻防戦)


両軍合わせて60万を超える
奉天の大会戦にも、兵員数では
日本は圧倒的に不利でしたが
最後には勝ちました。


そして、
ロシア軍最後の切り札、
バルチック艦隊を日本海海戦で
完膚なきまでに撃滅しました。

詳細はリンク先をご参照ください。
 https://miyanari-jun.jp/2018/02/18/hotennihonkaikaisen/
(日露戦争:奉天の会戦と日本海海戦)


この日本の勝利には
世界中があっ!と驚きました・・・
という話を
過去5回やってきました。

日露戦争での日本の勝利は、
自国の滅亡の危機を
跳ね返したことに留まらず、
アジアや
植民地支配され苦しむ国や
非白人民族に
勇気と希望をもたらしました。

なぜなら、有色人種の国家が
人類史上、初めて
白人の超大国に勝ったからです。

奴隷にされている
有色人種の人々や国々では
「私たちもやれば日本のように
白人に勝つことが出来る!」と
大きな希望を与えたからです。

それまでの「白人が優秀で、
有色人種は劣っている」という
悪しき差別観念が、払拭される
起点ともなったのが、
日露戦争での日本の勝利でした。

その結果、
やがて各地で近代化を進めたり
独立運動が活発になっていくことで、
約500年近く続いた

白人による植民地支配が
地球上から
消えていく
世界史の転換点と
なった
ことも説明しました。

詳細はリンク先をご参照ください。
 https://miyanari-jun.jp/2018/02/18/impact-japan-and-russia-war/
(日露戦争が世界に与えたインパクト、戦争終結) 

以上は、日本をベースに
日露戦争当時の世界を見た
視点での話ですね。

次にお話する時には、
この視点を別の角度に変えて、
日露戦争以降を振り返ってみましょう。
(長編になるので、作成に時間と猶予
を賜りたいと存じます。)

本日は以上です。

当塾では、
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(なお、できればブラウザーは
インターネットエクスプローラー
以外のものから、アクセスしてください。
例えば
グーグルクロムや、ファイヤーフォックス
などが良いようです。)
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5 件のコメント

  • Manohiroと申します。 ブログランキングから訪問させて頂きました。 初心者です。 勉強中ですので 興味を持って読ませていただきました。 また、訪問します。 ポチ、しました。

    • Manohiro様へ。
      昨年8月にブログにコメントを頂きました
      宮成です。ご無沙汰しております。
      その節は温かいメッセージを賜り
      あらてめて感謝申し上げます。

      さて本日は
      お知らせでメール致しました。

      私が主宰する
      「中高年サラリーマンの松下村塾」では
      先月から無料のメールマガジンの配信を
      開始致しました。

      ブログに掲載されていない
      より面白く、より詳しい情報を
      不定期ではありますが
      登録頂いた方に配信しております。

      もし、興味がございましたら
      登録をしていただければと思い
      ご案内申し上げる次第です。

      下記リンク先をクリックしてください。
      登録フォームが出てまいります。
      (なお、できればブラウザーは
      インターネットエクスプローラー
      以外のものから、アクセスしてください。
      例えば
      グーグルクロムや、ファイヤーフォックス
      などが良いようです。)
      https://stmp.jp/form/88/694/9d3f7d/

      本日のお知らせは以上です。
      今後とも宜しくお願い申し上げます。

    • manohiro様へ。
      宮成です。コメントいただきありがとうございます。
      当塾のブログが、
      何かしら貴方様の心に響けば幸いです。
      またのお越しをお待ち申し上げております。

  • とても良い歴史の勉強になりました。自虐的に見るように
    仕向けられていたと思います。

    大東亜戦争戦争で欧米の列強諸国を追い出し、その間に
    植民地は独立を果たしました。

    東京裁判は、日本に追い出された、列強によって開かれ、
    彼らによって判決が出されました、初めから答えの出ている
    つまらないものと考えます。

    インドの判事の無罪という考えに敬意を表します。

    • コメントありがとうございます。
      こうして、一人でも多くの日本人が、
      隠されていた真実に目覚め、自信と誇りを
      取り戻して頂けるなら、本当に嬉しく思います。
      今後とも、宜しくお願い申し上げます。

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