中高年のための「隠れ松下村塾」へようこそ。
中高年サラリーマンの覚醒ナビゲーター
宮成 純正です。
当塾では、
中高年サラリーマンに目覚めて頂き
「最大限の自分自身を生きる人」に
近づけるヒント・情報を
いろんな切り口で提供しております。
本日の学習内容は歴史です。
ここ1400年間の歴史から、
特にアジアでの国家の興亡
という観点で
日本が置かれている状況を
考察したいと思います。
今、日本は北朝鮮の核の脅威と
中国からの軍事圧力
(軍備拡張と海洋侵略)
に直面しています。
国防上の深刻な危機です。
北朝鮮の異常さと危険度は
言うまでもありませんが、
より怖いのは
実は中国であると私は思います。
第19回共産党大会は
2017年10月18日に開会しましたが、
習近平は2049年までに
アメリカ合衆国と並び立つ
強国になると宣言しました。
ここ二十年、中国は軍拡を
急ピッチで進めており
大会でも南シナ海への
海洋進出を強化することも
明言しています。
ここを中国に押さえられると
日本はエネルギー資源や
食料などの輸入の大動脈を
切られる危険性があります。
また、中国は尖閣列島や
沖縄をも占領することを
狙っております。
(明王朝時代に遡って
琉球が中国の領土であった
という主張をしております。)
こんな危機は
日本は初めてでしょうか?
いいえ。 実は、
我ら日本人の祖先は
約1400年前から
大きく言えば4回も
アジア大陸からの
敵の侵略の脅威に
さらされてきました。
(小さな衝突を含めると
実は6回ありました。)
麻生副総理がある時
記者会見で
「東アジアの緊張している情勢
というのは過去1400年間
変わっていないのであります。」
と言う主旨の発言をしていますが
まさしくその通りなのです。
その脅威に対して
生き延びるために
血と汗を流しながら
我が国の先祖たちは
国防の努力をしてきた
歴史を重ねてきたことを
ご存知ですか?
こうした日本の歴史を
学校で習ったはずですが
社会に出ると
多くの人はそうした
事実を忘れています。
今回は、そうした歴史を振り返り
我が日本が危機にさらされながらも
どうやって危機をしのぎ、
ある時は戦ってきたか学ぶことで
我が国の未来を守るヒントとし、
どうすべきか考えたいと思います。
【1.1回目の危機は7世紀】
現在からさかのぼること
約1400年ほど前、
当時の日本の周囲の
東アジアの国際状況は
緊迫しつつありました。
中国には唐王朝ができ、
朝鮮半島は高句麗・新羅・百済の
3国が鼎立していました。
唐は
日本で大化の改新がある頃から
高句麗に出兵するようになり
そうした遠征の圧力が
まずは朝鮮半島へ、
次いで日本にも影響が及びます。
そして、西暦663年、
白村江(はくすきのえ)の戦いで
日本は国内中の豪族から
集めた25000人もの大軍を
朝鮮半島に投入することになります。
理由は660年に
日本の友好国であった百済が
新羅に亡ぼされ、
その王族が日本に亡命し
百済復興を訴えてきた
ためでした。
日本側は
鉄や大陸の最新の文物の入手すべく
任那(=みまな 別名伽耶)を
朝鮮半島に有してましたが
新羅に奪われ、
朝鮮半島や大陸方面への
足場をなくしていました。
それを取り返す狙いも ありました。
当時の日本の全人口がまだ
推定500万人ぐらいの時代です。
そんな少ない中から
25000人もの兵を
三年かけて準備をするなど
まさに国を挙げての総力戦でした。
日本軍を率いたのは
大化の改新を成し遂げた
中大兄皇子。
後の天智天皇です。
結果は、
唐(中国)と新羅(朝鮮)の
連合軍に2日で大敗しました。
日本軍はほぼ全滅。
対馬海峡は日本兵の血で
真っ赤に染まったと
記録されています。
当時の大和朝廷は
この敗戦に衝撃を受けます。
多くの兵士を失い、国を守る
人間がいなくなったからです。
この状態で次、
唐と新羅の連合軍に襲われたら
滅亡する危機にさらされたからです。
そこで、
国防を立て直すべく天智天皇は
日本初の戸籍(庚午年籍)を整え、
そこから防人(さきもり)を急ぎ
日本各地から徴兵しました。
そして、
水城(みずき)という
要塞を北九州沿岸に、
西日本各地には山城を
作って侵略に備えました。
幸い、中国の唐は
朝鮮北部〜満州にあった
高句麗を滅ぼしてからは
西方のシルクロードへ
領土を求め拡大したので
東方の日本に
魔の手を伸ばすことは
ありませんでした。
(西域でイスラム系の大国・
アッバース朝と唐は751年に
タラス湖畔で戦いを展開。)
また朝鮮半島の新羅は、
ライバルの高句麗滅亡後に
唐との軍事同盟を解消し、
朝鮮半島から唐の影響力を
排除しようとしました。
そのことも幸いし、
新羅は日本に
直接攻撃を仕掛けず、
むしろ唐に対抗すべく
日本に接近します。
結果、我が国は助かりました。
しかしながら、
日本はその後も
政治体制を整備し、
中央集権型の
律令体制の構築で
唐と対等な国家を目指します。
併せて国防にも力を入れて
大陸からの侵略に備えました。
こうした中央集権化と
国防強化は天智天皇の死後、
西暦672年の壬申の乱で
政権の座を勝ち取った
天武天皇の代に進展します。
そして、その妻であり
次に即位した持統天皇の時代で
国家改造が完成に近づきます。
その結果できたのが
701年の大宝律令でした。
(天武・持統両者の孫・
文武天皇の代で完成。)
さらに、唐の都・長安を模した
奈良の平城京の完成でした。
(西暦714年です。)
明治維新に匹敵するような
国家の大改造を
大和時代〜奈良時代にかけて
一度やったんですね。
古代において
中国のアジア周辺部で
国の体制をここまで変えたのは
我が国だけ。
まさしく国防を兼ねた
「近代化の実現」でした。
これはすごいことです。
【2.遣唐使がジパング伝説をもたらした】
余談ですが、大和朝廷は
こうした国家改造を行うにあたり
先進大国・中国に
外交派遣団や留学生を
約20年に1回のペースで送って
当時の最新学問・技術・情報収集に
取り組んでいたことはご存じですよね?
そう、遣唐使がそれです。
後に空海や最長も
遣唐使として中国に渡ります。
この遣唐使は
安史の乱で唐が衰えて、
もう唐から学ぶことはないと
判断される
西暦894年まで続きました。
(菅原道真公の進言で廃止されます。)
遣唐使は、中国に行く時
手ぶらで唐の皇帝に面会するわけには
いかないので土産を持参しました。
特に、東北の奥州藤原氏が
開発していた平泉近辺から
産出される「金」を
持参して皇帝に献上しました。
このことが、唐の皇帝をして
「東方に黄金が出る国がある。」
「(奥州平泉には)黄金でできた
寺や町・仏像がある」と知らしめます。
そして、その噂は数百年後に
中国の元を訪れた欧州の商人
マルコ・ポーロに伝わります。
マルコ・ポーロが記した
「東方見聞録」には
元の東方に「ジパング」
という黄金でできた国がある
と記録されたのです。
【3.2度目の危機は鎌倉時代の元寇】
さて、その中国が本格的に、
日本に魔の手を伸ばすのは
白村江の戦いから約600年後です。
1274年、1281年の
蒙古(モンゴル)の2度の来襲。
そう、元寇です。
鎌倉幕府の武士(御家人)たちが
元軍と戦いました。
当時の元の皇帝は
有名なフビライ・ハーン。
対する日本の鎌倉幕府の
執権は北条時宗でした。
(先ほど紹介したマルコ・ポーロが
元の都・大都(現在の北京)にきた
のが1275年とされています。
彼は1292年まで元に滞在していたので
1281年の弘安の役は知っているはずです
東方見聞録は、そんな時代の
アジア情勢を反映したものでした。)
日本側は元(モンゴル)軍の
大軍と集団戦術、さらに
火薬などの新兵器に
苦しみますが、
台風の助けもあって
かろうじて撃退しました。
この蒙古襲来の際、
日本を守った御家人は
軍資金や必要な物資を
全部自己負担で出し、
遠くは九州まで遠征して
戦う必要がありました。
そのため、終戦後に
御家人の多くは窮乏します。
そこで、十分な恩賞がほしいと
鎌倉幕府に懇願しますが、
幕府も、防衛のために
九州北部に土塁や砦を
作るのに莫大な費用が
かかってしまい財政難となり、
御家人らに恩賞を与えることが
できませんでした。
このことが鎌倉幕府に対する
不満醸成につながり、結果
後の幕府滅亡につながります。
【4.3度目の危機は安土・桃山時代】
次の危機はその約300年後でした。
中国ではありませんでしたが
大陸を海から伝って、
日本を狙ってきたのは
スペイン・ポルトガルでした。
大航海時代に入った欧州では
スペインとポルトガルが
アフリカやインドを
次々に植民地化していきます。
1494年、両国は
互いに戦争にならないよう、
かつ、地球を両国で
分割して支配しようという
「ドルデシャリス条約」を
結び、南北アメリカ大陸にも
侵略の魔の手を伸ばし、
次々に植民地化していきます。
スペインは南米のボリビアに
当時世界最大の銀の鉱脈、
「ポトシ銀山」を見つけます。
そして、原住民インディオ達を
奴隷化して強制労働させ、
銀で得た富で16世紀には
「日没することなき帝国」
として繁栄を手にします。
ポルトガルはインドやマレー半島、
さらにはインドネシアなどを
着々と侵略していきました。
この両国が
いよいよ日本に目を付けます。
きっかけは1543年。
ポルトガルの商船が
鹿児島県の種子島に漂着します。
「鉄砲伝来」として有名ですよね。
小中学生レベルの教科書では
その程度の記述どまりですが
実はこの事件には
歴史の秘話が詰まっております。
その当時、日本は戦国時代で
かつ、現在の島根県には既に
「石見銀山」が開発されており、
国内に銀が豊富に流通していました。
(石見銀山はポトシ銀山に次ぐ、
世界第2位の産出量がありました。
ポトシと石見の2つの銀山が
あったことで16世紀には、
銀が国際的な初の基軸通貨と
して流通します。だからこそ
石見銀山は世界遺産になったのです。)
スペインとポルトガルは
元の時代に書かれた
マルコ・ポーロの
「東方見聞録」に記載されている
黄金の国「ジパング」が実は
「日本だった」と気づきます。
そして、欧州のキリスト教の
イエズス会は1549年には
フランシスコ・ザビエルら
カトリック派の教宣教師を
布教のために送り込みます。
彼らの狙いは
表向きはキリスト教の布教でしたが
もう一つ、隠れた意図がありました。
それは「侵略の準備」です。
実は、日本の富を狙っていました。
欧州が列強化していく過程で
アフリカとアジアを侵略する
お決まりのパターンがありました。
それは、以下のような手順です。
(1)宣教師がやってきてその国に
キリスト教を布教する。
(2)キリスト教が広まると庶民に
「平等思想」が浸透する。
あるいはキリシタン大名の
ような領主も現れる。
(3)封建的な身分差別があった
インドやアジアの国々では
民衆が「平等」を求めて
封建体制を覆そうと反乱が起きる。
(4)反乱が内乱にまで発展すると
欧州はその両方の勢力に
武器などを売って応援する。
(5)両方の勢力がつぶし合い、
疲弊しきったところに
欧州から艦隊と銃を持った
白人の軍勢がやってくる。
(6)疲弊しきったその国は
もはや白人らの軍勢に
あらがうことができず
植民地にされてしまう。
そうです。
こうして、アフリカやアジアの国は
ことごとく同じ手口で
植民地化されていきました。
日本にやってきた宣教師らも
日本の銀や富に目を付け、
いずれは同じ手で日本に
母国の艦隊などを派遣し
その富を奪う下準備を
密かにしていたのです。
事実、歴史研究者の多くは
そうした宣教師の多くは、
「侵略のための先兵だった」
とみています。
そうした証拠が残っています。
1585年、イエズス会の
日本準管区長のガスパル・コエリョは
「早急に兵隊、弾薬、大砲、数隻の
軍船を派遣して欲しい。キリシタン
大名を支援し、服従しようとしない
敵に脅威を与えるためである。」と
フィリピン布教長に手紙を出しています。
(この時期は
1583年の本能寺の変の後、
豊臣秀吉が着々と全国統一に向け
勢力を伸ばし、九州のキリシタン
大名らも秀吉の勢力下に置かれよう
としていた時期ですね。
ガスパル・コエリョは大友宗麟らが
秀吉に潰されるのを嫌って
応援を本国に求めたのでしょう。)
宣教師達が、実は
日本侵略を企てていることに
気づいたのが豊臣秀吉でした。
(後の徳川幕府も気づきます。)
そして、宣教師らによる
キリスト教の平等思想が広まると
当時の一向宗の一揆と同じく
封建制社会の支配構造を
根底から揺るがしねないと気づきます。
そこで、秀吉は1587年に
バテレン追放令などを出して
宣教師らを海外追放して
キリスト教の布教を禁じます。
その後、天下を取った
徳川幕府もやがて「絵踏み」で
隠れキリシタンをあぶり出し、
布教と信仰を禁じていきます。
ただし、秀吉も徳川幕府も
キリスト教の布教は禁じても
貿易のメリットは大きいので
当面の間、南蛮貿易は認めます。
南蛮貿易までも禁止するのは
徳川家光の時代の「鎖国令」です。
(何回かに分けて発布されて、
最終的な鎖国開始は1639年です。
鎖国令が出されるまでは、
日本も活発に貿易をしました。
フィリピンやビルマ、ベトナム
に日本人町ができるほどで、
その間にかなりの銀が
国外に流出していきました。)
その動きに対して、
スペイン・ポルトガル両国も
銀または富が豊富な日本を
みすみす見逃したくないので
何とかして
侵略しようと企てていました。
しかし、それを
日本は未然に防ぎました。
では、どうやったか?
それは
スペイン人やポルトガル人が
持っていた最新兵器・鉄砲を
日本人が自ら大量生産し、
欧州の白人に対応できるだけの
武装ができたからです。
その逆に
欧州の鉄砲の技術を盗めず
自前で製造できなかった
アジアや南北アメリカの先住民は
みな奴隷にされました。
日本は自前で当時の最先端の
武装ができたので
奴隷にされませんでした。
そして、日本を
スペインとポルトガルからの
侵略を防ぎ、断念させたのは
実は、秀吉の朝鮮出兵でした。
秀吉の強硬外交、
鉄砲で武装した
日本軍の強力な軍事行動。
これを知ったスペインと
ポルトガルは日本への侵略を
諦めざるを得ませんでした。
そのことは、
2018年6月25日付けの
朝日新聞に詳しく
記載されています。
【5.19世紀は欧米列強の魔の手が迫った】
さらに約300年後、
またまた欧州列強によって
植民地化される脅威に
日本はさらされました。
隣国の清がイギリスに
アヘン戦争(1840〜42年)で敗れ、
中国の人民は食い物に
されていきました。
その情報を幕府や、
後の明治維新を起こす
志士たちは知り、
危機感が高まりました。
その次に、日本に黒船が
1853年にやって来ました。
アメリカのペリー提督でした。
これが明治維新(1868年)
の起爆剤となります。
植民地化されないよう
富国強兵と近代化を進めます。
こうした欧米列強の中で、
極東アジア侵略に
特に力を入れて
日本にも魔の手を
伸ばそうとしたのが
当時最強の大陸国家である
ロシア帝国でした。
ロシア連邦の沿海州に
今もウラジオストークという
軍港がありますよね。
ウラジオストークとは
ロシア語で「東を征服せよ」
という意味です。
不凍港であるこの地を
ロシア帝国が中国の清から
獲得した時に、
次なる狙いはどこか、を
土地の名前に込めたのです。
清よりさらに東方にある
国と言えば我が国しかありません。
そう、ウラジオストークは
日本侵略のための前線基地
であったのです。
ロシア帝国と
国力で比較すると
当時我が国は
圧倒的に劣っていました。
(国家予算規模でロシアの
8分の1ぐらいでした。)
よって、本当は日本は
ロシアとの戦争を望んで
いませんでした。
勝つ見込みがないからです。
しかしながら、
三国干渉などによって
ロシアが極東侵略の姿勢を
むき出しにしてきたことから
日本は国の存亡をかけた
乾坤一擲の大勝負に出ます。
それが
1904〜05年の日露戦争でした。
日英同盟を結んだ上で
日本は奇跡的に勝利し、
独立を守り抜きました。
日露戦争でおきた数々の奇跡や、
日本人が流した血と涙の物語は
当塾のブログに5回にわたって
詳細に掲載してありますので
是非、ご参照ください。
アメリカとの太平洋戦争は
大陸からの脅威とは異なるため、
ここでは割愛します。
【6.現代日本に迫った危機】
さて今、日本は
大陸から再び
侵略される危機に
日本は直面しています。
特に北朝鮮からは
核で我が国を焼き払い
海に沈めるぞ、とまで
恫喝されました。
これだけの大きな
大陸からの危機としては
歴史上、五度目ですね。
我々のご先祖様たちは
危機意識を持っていました。
血と汗を流し自力で
外敵の侵略を防いできました。
特に日露戦争の時は
国民全員がロシアに強烈な
危機感を持っていました。
もしも、ロシア兵が日本に
上陸するようなことがあれば
国民全員が鍬や包丁を持って
全滅を覚悟で戦うことも
準備していました。
ところが、
過去4回の危機と
決定的に違うのは
現代の日本人は
日本を守ってくれるのは
アメリカ軍だと
他人ごとのように
思っている人が多い
のではないでしょうか?
自分の国を自分で守るという
国防意識がまるで希薄です。
それどころか軍事に対して
アレルギーすら有してます。
これはアメリカを中心とした
GHQの占領中
(1945年~1951年)
に実施された
日本を骨抜きにする
洗脳政策の影響です。
教育の現場では
ただ平和が尊く
戦争は悪だと
教えることに終始します。
戦争は悪と教えるのは
間違ってはいません。
しかしながら、
平和実現に向けた
具体的かつ現実的な手段を
教えません。
平和を守るためには
一定程度の防衛・軍備が必要で
あるという世の現実と
(永世中立国のスイスと
いえども軍があります。)
歴史を直視しようとしません。
これが、今の教育の最大の欠陥です。
誤解してほしくないのですが
戦争賛成と
私は主張しているのではありません。
あくまで、戦争には反対です。
子供や家族を戦争で失うような
悲惨な事態は嫌です。
ですが、戦争を回避できるよう
国防はしっかりやる必要があり、
国防力がない国は
とんでもないことになることを
歴史は物語っているのです。
それを証明する歴史の例を挙げましょう。
かつて、
勇将ハンニバルを派遣するなど
後の大帝国ローマと
対等に渡り合った強国がありました。
カルタゴです。
現在のチュニジアに位置する
日本同様、海洋商業国家でした。
カルタゴは
ハンニバル将軍が活躍し
(第2次ポエニ戦争)
ローマを滅亡寸前にまで
追い詰めますが
あと一歩のところで
詰めを誤ります。
結果、ローマ軍の逆襲を受け
カルタゴは敗退します。
敗れたカルタゴは
ローマと同盟国に対する
「戦争放棄」を約束させられ、
再軍備も禁止されます。
70数年前の我が国と同じですね。
カルタゴはその後どうなったでしょうか?
平和を保ち、繁栄できたのでしょうか?
答えは否です。
ローマ側は
「戦争と再軍備を禁じたが
やはりカルタゴは怖いので滅ぼそう」
と考えるようになります。
そこで、ローマは
徳川家康が大阪城の外堀を埋めて
丸裸になった豊臣家に、
イチャモンつけたのと
同じ手法で無理難題を
カルタゴに次々にふっかけます。
遂には、カルタゴの土地から
国民すべてが立退くよう命じます。
堪忍袋の緒が切れた
カルタゴは再び立ち上がります。
(第三次ポエニ戦争)
しかし、戦争と再軍備を
禁じられていたカルタゴが、
急いで軍を立て直しても
強大なローマの軍に
敵うはずがありません。
これを待ってましたと、
着々と侵略準備をしていた
ローマ軍の前に
カルタゴ市民は何十万人も
虐殺され、生き残った人は
捕まり奴隷にされました。
街は徹底的に破壊し尽くされ、
ここにカルタゴは滅亡しました。
(紀元前146年)
これが、
戦争を放棄させられ
防衛力を奪われた国の
末路であり、歴史です。
勝ったローマは
カルタゴを滅ぼした後、
地中海世界を牛耳る
大帝国にのし上がります。
しかし、そのローマにも
衰退の時がきます。
西暦395年に
ローマ帝国は東西に分裂。
西ローマ帝国は
西暦400年代に入ると
国防に力を注げなくなり
国境を突破し侵入してくる
ゲルマン系の異民族を
撃退できなくなります。
自国内に
武力を有した異民族が
大挙乱入するという
国防上の大きな危機に
瀕しているのに
西ローマ帝国内では
キリスト教上の
神学論争に明け暮れます。
アタナシウス派が正当なのか?
ネストリウス派が正当か?
という国防とは関係のない
ことに注力していたのが
西ローマ帝国でした。
結果、西暦476年に、
西ローマ帝国は滅亡します。
歴史を振り返ると、
戦争放棄を強制され
国防力を奪われたカルタゴ。
そのカルタゴを滅ぼしたものの
自国に異民族が乱入し、
危機が目の前に迫っているのに
国防と関係ないことに
明け暮れた西ローマ帝国。
この二か国とも滅亡しました。
世界史を振り返ると
かつての
カルタゴや西ローマの姿と
今の日本の姿
(国際情勢の現状や歴史を
無視していまだに
自衛隊は違憲だと煽る勢力がいて、
国防という重要問題を棚上げして
モリ・カケ騒動を煽る
マスコミの印象操作がある。)
がダブって見えるのは
私だけでしょうか?
今の日本は、かつての
カルタゴや西ローマのように
滅亡の危機に
直面しているのです。
カルタゴと我が国の違いは
かつての敵国と
安全保障条約を交わして、
アメリカ軍に
国内に駐留してもらい
核の傘によって
北朝鮮や中国からの
侵略を防いでくれている点です。
この日米安全保障条約こそ、
カルタゴの轍を
ふまないための
日本の命綱なのです。
北朝鮮と中国が
共産主義体制を継続し
軍備を拡張している以上、
その命綱を
決して手放してはなりません。
自衛隊を違憲と称し
さらには
安全保障関連法案を廃案とし、
最終的にはアメリカ軍を
追い出すことを狙っている
某政党などは
こうした歴史に対して
全く無知なのか、
日本を丸裸にする
売国奴に等しいと思います。
しかしながら、
2017年8月、9月に
Jアラートが二回も鳴って
日本列島上空を
北朝鮮のミサイルが
飛んだことで
ようやく国民も
気づき始めたようです。
やっと、ここにきて。
ギリギリのタイミングで。
目の前に大きな危険が迫っていて
ただ平和が大事だと
一国平和主義を
念仏のように唱えていればいい
というのは間違いだと
ようやく現実に目が覚めました。
結果、2017年10月22日に
実施された衆議院選挙では
国民の多くは、
憲法改正に前向きな
政党を選んだのです。
ようやくマスコミの
安倍総理大臣を叩き続ける
偏向報道のおかしさや
目の前に迫る危険に
国民の多くは目を
覚ましつつあります。
それで良いのです。
さらにいえば、
交戦権や国防を疎かにすることで
日本を骨抜きにすべく
アメリカから
押し付けられた憲法は
もう変えなければならない、
国防をしっかりすべきで
特に9条は改正すべき、と
敗戦から72年かかって
ようやく気づきつつあります。
2017年10月の
衆議院議員総選挙は
日本の将来を決める
ターニングポイントと
なりました。
なぜなら、
改憲と国防強化を志す
政党で衆議院の3分の2を
占めたことで我が国を
核で恫喝する北朝鮮と、
アメリカと並ぶ強国になると
宣言した中国に対する
カウンターパンチに
なったからです。
中国の習近平・国家主席は
「一帯一路」政策を標榜して
全世界に中国の資本を投入して
あたかも「豊かな中華経済圏」
を作ろうと声を上げています。
しかしながら、
それは表向きの美辞麗句。
この政策の真の狙いは
13世紀のモンゴル帝国の復活です。
そうです。
中央アジアから、ロシア及び
ヨーロッパの一部までの
ほぼユーラシア大陸の7割と
当時の全地球の人口の
3分の2を支配した
世界帝国・モンゴルを
再度、中華帝国として
復活を目指しているのです。
モンゴル帝国は
あまりに大きすぎたので
母国本拠地の中国側の元と、
それ以外の4つの国に分裂しますが、
互いに親戚同士として
通商は今でいうEUのように
商人などを自由に出入りさせて
ユーラシア全体を支配しました。
ちなみにロシアの教科書では
13世紀はモンゴル人に
(キプチャク・ハン国に)
ロシア人達が支配され
税金などを搾りとられ、
反乱を起こすと
強力なモンゴル軍が
駆けつけて殺される等
大変苦しんだことが記載されています。
その暗黒時代を
「モンゴル・タタールの軛(くびき)」
として学習するそうです。
よって、ロシアの
プーチン大統領にしてみると
「一帯一路」政策で中国が
中央アジアやロシア方面に
経済的に軍事的に力を
持ったまま台頭・進出される
というのは許しがたい戦略に
感じているはずです。
経済援助の仮面をかぶった
軍事的な領土野心丸出しの
恐ろしい戦略なのです。
借金漬けにして、
払えなかったら、一気に
その国の重要なインフラを
奪うやり方を中国はします。
(アメリカのペンス副大統領は
その点をズバリ指摘しました。
2018年10月4日の
歴史的な演説において、です。)
そうです。
中国の戦略は
侵略の意図が隠されており
非常に危険です。
中国がお金を貸した
巨大プロジェクトに手を染めた
一帯一路のライン上の国で
その借金が払えなくなったことで
国家の重要な港湾をまるごと
借金のカタにとられた
スリランカや、
国家経済が傾いたところで
同じく重要な港を買われて
しまったギリシャなどが
典型的な例といえましょう。
さらに
中国が覇権を握ると怖いのが
自由な言論や思想を
認めないところです。
強権的支配構造で
共産党一党独裁体制の下、
人民の自由を弾圧しながら
統治することをもくろんで
いるので、これ以上の
中国共産党の体制拡大を
許すのは危険だと私は考えます。
次の任期四年の間に
安倍総理大臣は
憲法改正と
国防強化に向けて
様々な動きを
加速させるでしょう。
また、アメリカや
日本に協力する外国と
手を組んで北朝鮮や
中国に対抗するはずです。
(「自由で開かれたインド洋・
太平洋」の構想はまさに
中国の一帯一路に対抗する
包囲網です。)
それをやり遂げられる
政治家は今の日本には
彼だけでしょう。
中国や北朝鮮は必ずや
この動きに対して
軍国主義の復活だと
我が国を非難し
(自らが軍拡路線に
あることには触れず)
揶揄するでしょうが
我が国は淡々と
国防強化に専念すべきです。
結果、日本はようやく
GHQが仕組んだ罠や、
国内に潜入している
反日工作勢力が仕掛けた
洗脳と軛(くびき)から
徐々に脱して行くでしょう。
それでこそ日本は
独立と主権を保持し
大陸からの脅威にも
屈することなく
生きていけると私は信じます。
次回は、上記のような
国際情勢を俯瞰しつつ、
いかに資産を
増やして行くか、
特に株式投資につき
2018年1月時点の
私の考えを披露したいと思います。
ここまでお読みになって
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メッセージをお待ちしております。
遺憾ながら、誠に遺憾ながら。
日本には核兵器がありません。
仮に憲法を改定して自衛隊を軍にしたところで、
国民に核アレルギーが在る以上、核武装は
難しいでしょう。
また、日本が核武装をすれば、味方(これには疑問符が付きます。個人的には決して味方とは思っておりませんが)の合衆国が反発し、核武装を頓挫させようとすることでしょう。
核兵器抜きの根性論(具体的には海軍のカッター漕ぎで新兵さんのお尻の皮を剥いて喜んだり、制心棒で訓練を装って、外地での敗戦の腹いせに、私刑をおこなったり)で、凶悪な支那朝鮮露西亜の獣人共に勝てそうにありません。
挙げ句に、原爆を落とされて、8月ともなると、原爆の被害者の慰霊鎮魂はよいとして、原爆投下の反省を落とされた当の日本が行っている。(これには、極東軍事裁判でただ一人公正であった、インド人のパール判事も苦言を述べてます。)
まずは、核アレルギーの払拭からでしょう。
そして、ついこないだまで、日本・支那友好だなどと戯言を言っていた人間を成敗することでしょう。(左派知識人のみならず、低人件費と巨大市場に目が眩んだ経営者共も断罪すべきです。右派政治家にも、国際派を気取って支那に媚びる者が多い。まして、連立与党の一角の某宗教政党(特に名は秘す)は言語道断!)
なにはともあれ、Chinaを支那と呼びましょう。
支那は貶称には非ず。
かの獣人国をチューゴクとかいうふざけた呼び方をしないように。
中国とは、日本の山陽と山陰地方をあわせて呼ぶときに使いましょう。